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疫病終息までの過ごし方、心構え=老人特有の病の対処法とは=聖市ビラ・カロン在住 毛利律子

パソコンを楽しむ高齢者(フリー素材のぱくたそ)

 とうとうサンパウロも、コロナウィルスによる死者が出た。不要不急な用事以外は、特に高齢者は外出禁止とということである。

平穏無事な時は、「きょうよう」「きょういく」のすすめ

 私は、サンパウロ市で所属する文芸クラブの機関誌に拙文を投稿している。そこに先日、高齢者には「きょうよう」と「きょういく」が必須である―という文章を書いた。
 この「きょうよう」「きょういく」は「教養」「教育」を意味するのではなく、「きょうよう=今日は○○にようじがある」、「きょういく=今日も出かけていくところがる」という意味である。
 これは、永井荷風の言葉である。永井荷風といえば、大富豪の御曹司で慶応義塾大学の教授でもあったが、東京下町をこよなく愛した文豪だ。『断腸亭日乗』、『大正幻影』は、つとに有名で、当時の東京の風物を知る上で貴重な文献資料といわれる。
 毎日というほど下町に出かけていた荷風は、カバンに、当時のお金で2千万円、今日の数億円に当たる手形や通帳を持ち歩いていた、ということも有名である。今でいうところの「おひとり様」生活を満喫していたかのようだ。
 そのような荷風が70歳になった昭和23年元日の日記には、『晴。来訪者なし。終日家にあり…』。朱書きで
「〈七十になりし あしたのさびしさを 誰にや告げむ 松風のこゑ〉」
と自作の歌を詠んでる。
 結局、晩年は重病に悩まされながらも独居を続け、80歳での孤独死であった。
 超高齢化社会になった社会は日本だけではない。ブラジル日系社会には、はるかに豊かで健康な高齢者が多く、家族に囲まれ、たいへん幸せな方が多いと思う。
 前文を読んだ方々からも、「全くその通り、私もそうしていますという感想が寄せられた。日々の積極的な過ごし方には打ってつけの言葉であり、すぐに実行に移して楽しめるところが良いので、他でも広く勧めている。

高齢者の三大疾患は「肺炎、骨折、痴呆」

 ところが、誰もがいつも同じように健康ではない。世の中が安定して平和な状態が一変して不安定になる事。昨日と同じ日は無い事。人間社会はこれほど脆いものかを、今回のコロナ騒動で実感した。
 「この騒動、いつまで続くのだろうか…」と、不安になる。何度も繰り返されるテレビ報道の同じ情報を、ただじっと座ってみているだけでいいのだろうか。良いはずは無い。これでは、数週間後には心身ともに寝たきりになるかも…。そっちの方がもっと怖いではないか。
 そこで、この蟄居状態を改善する方法は無いかと考え、高齢者の三大疾患「肺炎、骨折、痴呆」に関する多くの文献を再読した。その中から、老人特有の病を拾い、それぞれの病に罹らないように、自分に合う方法で改善することを考察した。
 今、思いがけなくも、ゆっくり家で過ごす時間ができた。だから、コロナ感染のことについても、正しい知識に基づいて、「正しく怖がる」ことを知りたいと思ったのである。

「肺炎とウツは老人の友」

 「『肺炎は老人の友』とは、アメリカ人のウイリアム・オスラー、内科医の始祖。ジョンズ・ホプキンス病院の「ビッグ・フォー」と呼ばれた医師たちの一人」の言葉である。
 それではまず「肺炎」とは何か。
 肺炎の原因は細菌感染である。感染とは他者(動物、人)から病原体を受けることであり、新コロナも同じ。他者が原因となる感染症であるが、老人性肺炎の特徴は、自分が感染源となる場合が多い。
 唾液や飲食物、食道まで逆流した胃液を器官に誤って飲み込むこと(誤嚥)によって、その中の細菌によって肺炎を起こすことが多い。これが誤嚥性肺炎である。
 この誤嚥が生じないように、人間の身体は精巧な防御器官が働いている。まず口の中のものが、喉の奥で食道と気管に分かれる手前に達すると、自動的にそれをゴクンと飲み込んで、物は食道だけに送られる。これが嚥下反射である。
 万が一、物が気管に詰まっても、激しい咳が始まってそれを除去してくれる。この二重の防衛反応によって守られる。ところが、脳血管疾患などの人は、これらの反射が遅いと危険になり、日常の生活にいろいろな不自由が出てくる。
 それではその予防は?というと、最も推奨されているのが、「口腔ケア」だ。口の中の細菌をできるだけ減らすこと。歯ブラシで、歯だけでなく、歯茎、舌、口の中全体の感覚神経を刺激するようにする。
 老人ホームなどでは、肺炎予防にこの取り組みが盛んに行われているという。

骨折の怖さ

 軽い運動など、身体を動かさないと何が起きるか。医学用語でいうところの「廃用」という問題が起きる。
 これはどういうことかというと、手足の骨を折ったときに、その部位をギブスで固定する。骨が繋がってギブスを外すと、その部位(手や足)が極端に細くなっているのに気づく。これが廃用性筋萎縮、筋肉が減るということである。
 これは手足の場合であるが、それでは全身を使わないとどういうことが起きるのか。
 デンマークの実験報告によると、20歳の健康な大学生5人を20日間「寝たきり」にした。ベッドで横になるだけの実験である。その結果、心臓が11%縮小した。
 なぜなら、安静にしているため、心臓の筋肉も最低限の動きしかしない。だから心筋は収縮し、心臓が一回の拍動で送り出す血液の量は24%低下。呼気(吐いた空気)と吸気(吸う空気)の最大酸素摂取量は27%に減る、という結果になった。このたった20日間の影響から、健全な状態に取り戻すのに5週間かかったという報告だ。
 これは若い健康な男性の場合であり、高齢者の影響はもっと深刻になる。
 高齢者が筋肉を全く動かさないと、ひと月で半減する。関節は固まり動かすことが不自由になる。これを「拘縮」という。
 例えば2カ月も続くと、この拘縮は治せなくなる。骨量は2割以上も減少して骨粗しょう症になる。だらだらと過ごし、すぐ横になってテレビを見る、立っていてもすぐに何かにもたれようとする。このような衰えを自覚すると、やる気を失ってくる。これが廃用による、運動機能の低下で、「老化と廃用の悪循環」引き起こし、寝たきりになる、ということである。
 今回のコロナウイルス危機でも、高齢者は自宅にこもっていることが推奨されている。だからといって、まったく体を動かさないと、筋力が低下してしまうので要注意だ。他の人との距離を2、3メートルおきながら、毎日散歩に出て20分、30分ほど全身を動かすことは重要だ。
 もしくは、外出禁止令などが出て外出を控えなければならない場合は、家の中で身体を動かす、自分なりの方法を見いだすしかない。
 たとえば、階段がある場合は「ゆっくり○○往復、二段上り」「つま先立ち歩き。後ろ歩き○○回」、姿勢を正しての呼吸法、シャドウボクシング、などなど。家族の迷惑にならないように工夫し、毎回の成果の点数を付けて記録する。
 今まで棚上げにしてきた終活の整理整頓などに、本格的に取り組むのもよし。家中の掃除などは、大変な運動に繋がり、掃除の後のきれいさっぱり、清潔になった状態は、精神的に非常に効果的だそうだ。
 健康管理は全て自己責任であるから、家族に心配をかけないようにくれぐれも無理をせず、転倒しないように十分注意することは、言うまでもない。

老人性ウツとは

 「肺炎は老人の友」だけでなく、今日では「ウツは老人の友」という言葉も身近になった。というのは「ウツは万病のもと」となるからである。
(1)高齢者のウツは、気分・感情に出るより、身体症状(体の不調や痛み)などに表れる。検査の結果は全て正常でも、実は「ウツ」だったということがある。
(2)言葉や行動の反応が鈍くなり、無気力な状態を示すことが多くなる。
(3)心筋梗塞や脳血管疾患は高齢者に多く、そのような大病の後に鬱状態が起こり、予後をも悪化させる心筋梗塞、骨粗しょう症なども、全身のホルモンバランスの崩れ、免疫の調整機能に悪影響が生じる。それに伴い、運動不足や精神面での刺激不足が、すぐに横になるといった生活習慣に繋がり、「寝たきり」要介護の引き金になる。

お爺さんに布団をかぶせる介護士の女性(フリー素材のぱくたそ)

 ウツの予防・改善は知的好奇心が最も良いと言われている。
 知的活動としては、これまで自分が読まなかった分野の本、本格的な歴史書、古典文学、美術書、哲学などの読書に挑戦し、絵を描く、楽器演奏の独学を始める、などなどだ。
 iパッドや携帯電話のアプリでユーチューブの動画などを楽しむことも良いだあろう。
 しかし、聞き流すだけでなく、疑問に思った点などは、一時停止にして書き留めることも良いと言われている。
 つまり、テレビや動画など、一方的に流れてくる情報を受けるだけでは、前頭葉を刺激せず、また同じ姿勢をずっと続けることで、周りの状況判断なども鈍ってくることになる。
 落語やお笑い番組をたくさん見て、大声で笑う。誰にも邪魔されず、笑い転げるのも気分転換となり、健康にもとても良いらしい。家族もそれに付き合うと、なお良いということである。
 こうして上げてみると、狭い我が家でもできることはたくさんある。お付き合いも大切であるが、一家団欒を見直し、あるいは独り住まいの遠慮ない時間の楽しみ方を満喫したいものである。
 これらの知的活動の頻度の高さは、さまざまな高齢者特有の病気の発症率を低下させ、精神的活動を取り入れることが、脳の認知機能、予備機能の維持・増加に役立っていることが認められている。
 「自分の身は自分で守る」―この鉄則を貫く強い決心を以って、健康管理のプラン作りを楽しむのも良い精神衛生となろう。

お茶の効用

ティータイムにエクレアでも?(フリー素材のぱくたそ)

 日本人はお茶好きが多い。コーヒー、紅茶も美味しいが、時々、ゆっくり入れたお茶を飲むのは、とても気持ちが落ち着くのである。家族が集まってお茶を飲む。他人の家を訪ねてお茶を御馳走になる。何かにつけて機会を作っては「お茶しよう…」は、上手な交際の潤滑油となり、そのように楽しんでいる人に不健康な人はいないであろう。
 今のように家にいる時間が多くなると、家族で、特別美味しいお茶を選んで飲む。昔話に花が咲き、これからの生活のことも前向きに話し合う。遠慮なく、政治家の悪口や日常茶飯事の井戸端会議を楽しみ、その都度、飲み物を変えるのも良いかもしれない。
 このような時間の過ごし方は、「老いを遅らせる」。
 老いということは、外向きには「五体満足」で健康そのものに見えながら、一人になると無気力になり怒りっぽくなる。何もすることが無い、という人も多い。
 半面、病気や障害があっても、実にイキイキとして活力に満ち、常に前向きに自己実現を果たしている人もいる。
 この「老い」の正体はどのようなものか。
 健康について書かれた多くの本を要約すると、「老い」とは、「自分が抱く自身のイメージを常に修正することが求められる過程」ということになる。
 どういうことかというと、昨日までの自分とは違う、老いゆく自分がここにいる。「できたはずのこと」と、実際「できる」こととは違う。そのギャップをどのように修正するか。
 若い時のようになんでもこなせないが、熟練した味わいが出せる。少しは人生が分かってきたようだと、自信を持って次世代に語ろう、教えよう、書き残そう、ということに取り組める。
 その取り組みの間に考えることは、生まれてきたこと、今まで生きてきた意味、人生の最期の日々に何ができるか、人間の根源的な意味を考える時ではないだろうか。
 若かりし頃の自分と比べて、不自由になった自分を「年のセイだ」「できなくて当たり前、老人なんだから」と不愉快になるのではなく、年を取ったら、常に自分から進んで「ご機嫌」な自分を作るように心がけよう。
 とはいえ、人間には、悲しみも苦しみも抱えることは、生きていくうえで必要なことである。

名言から「老い」を学ぶ

カラオケを娘と楽しむ高齢女性(フリー写真素材【写真AC】)

 往年の女優八千草薫さんは、「健康な長生き人生の秘訣」というインタビューに答えて、「いつも楽しくを心がけている」とにこやかに述べていた。
 貝原益軒は次のように言う。「老後の一日楽しまずして、虚しく過ごすは惜しむべし。老後の一日、千金に値すべし」
 フランス系アメリカ人の微生物学者で医学思想家のルネ・デュポスは、
「人間が求める健康とは単に身体的な活力と健康観に満ちた状態とは限らないし、長寿を全うするということでもなく、それは人生の理想や目的を成就するために最も適した心身の状態である」
 日頃、喧騒の中で、なかなか名言・名句や古典を紐解くことは難しい。だがこの際に、このような楽しみを見つけることも良いのではないかと、つらつら考えてみた。