たしかに、近づいてくる人たちのなかに、見違えるほど整った服装のネナがいた。だから、ツーコはネナだと気づかなかったのだ。三人は懐かしさのあまりネナのほうに走った。ネナはきれいに着飾り、パーマまでかけていた。両親に合わせようとわざわざ連れてきてくれたのだ。
ツーコはこんなにおしゃべりなネナを見たことがない。姉は話しつづけた。
洋服を見せ、何をしていて、どのような生活をしているか語った。花の刺繍がほどこされたフリル一杯のドレスをぬいで、自分と同じぐらいになっているツーコに着させた。その間、ジュンジは家の前に止めてある大きなトラックを今度は怖がらず見にいった。それがフォード車でありF8と書かれているのも読んだ。
ただ、わからないのはBig Jobという文字だ。たぶん、持ち主の名だろうと思った。トラックの周りをグルグル回り、こんなトラックは初めてみるので、持ち主はそうとう偉い人で大金持ちに違いないと思った。
第13章 ブラジル人として
1954年の終わりごろ、ニーチャンが父親にサンパウロのサンタナ区に陸軍の予備役将校になる学校があると告げた。いつかは義務兵役を受けなければならないときがくるのだから、「CPOF」、つまりCentro de Preparação de Oficiais de Reservaに入るべきだ。
「2年かかる。駅まで歩き、電車に乗ってルスまで行き、バスに乗り換え、学校のあるアルフレッド・プジョル街まで行く。仕事も医科大学に入るための予備校もつづけられる」と説明した。
「そこを出たら何になれるんだ?」と正輝は訊ねた。
「卒業したら、陸軍士官候補生になる。兵営で3ヵ月の講習を受けると、陸軍少尉になれる」と、アララクァーラで高橋先生に習った日本語でいった。
「陸軍少尉、そのあと、陸軍大尉か?」
「そう、めったにないことだが、陸軍大佐にもなれえる」というと、父親は「じゃ、それをやれ」と承諾した。
ニーチャンが勉学をつづけながら、義務兵役が果たせるあたりまえの方法といえる。ブラジル人のほとんどの家庭でも息子をCPOFに行かせるのが普通なのだ。