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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(239)

 それから1年も経った1954年10月30日、アララクァーラ住民の尋問が再開された。高林明雄の番だった。高林延太郎、ヌイの息子で、静岡県出身、44歳、商業を営み、居住地はサンベント街1151番地。
 弁護士がいなかったので、判事はアントニオ・ジロバニーニ氏を弁護に当たらせた。臣道聯盟の会員ではあったが、組織の支部をつくる考えなど全くなかったと証言した。
 「戦前から教師として同地方の重要人物とみなしていた臣道聯盟は、彼をアララクァーラの支部結成の中心人物と考えた。DOPSは事前に組織の幹部を取り調べたさい、彼の調査結果、また、当地で臣道聯盟の会員の尋問を担当していた者の尋問結果をみて驚いた。支部を結成するまでに至らず、よって当地には支部がなかったのである」
 つづいて高林は襲撃など一度もなかったのだから、参加するわけがないと証言した。そして、いよいよ正輝の番がやってきた。
 「裁判所。尋問書。1954年12月3日、サンパウロ市第一地区裁判所内、尋問室において、プリニオ・ゴーメス・バルボーザ及び私、任命書記官出席のもとに保久原正輝、黄色が検査局、訴訟記載事項2ページの尋問のため出頭し、弁護にモアシール・マンシオ・デ・トレード弁護士を指名した」
 正輝はモアシール・マンシオ・デ・トレード弁護士の業績を津波元一から聞いていた。弁護士の事務所はプラッサ・ダ・セー247番地のビル内2階235室にあった。すでに多くの臣道聯盟の被告を弁護しているその道のベテランだった。
 謝礼金は被告の収入にあった額で、ほとんどの被告人の収入は低かったから、正輝にふさわしい弁護士といえる。彼は尋問当日になってはじめて弁護士に会ったのだった。訴訟委任状にはすべてが書かれていた。
 「保久原正輝、日本人、1941年6月30日、アララクァーラ警察署発行の外国人身分証明書3459番所有、既婚者、職業、朝市商人、住所、サントアンドレ市セナドール・フラッケル街891番地は、モアシール・マンシオ・デ・トレード、ブラジル人、サンパウロ区域OAB登録695番、現在、検察省、第一地区裁判所で尋問中の臣道聯盟問題で起訴された被告人の委任者、弁護士として依頼する」