マニール氏の家の奥の掘っ立て小屋ではこの先、選挙運動が進むにつれて、息子が関係者を迎えることができないと考え、さっそく、別の借家を探すことにした。子どもが多いから、ある程度大きい家が必要だ。幸い、町の中央に近いカーザ・ブランカ区に適当な家がみつかった。
借家がみつかった時点で問題が生じた。町に不動産を有する保証人が必要なのだ。すぐ頭に浮かんだのはサントアンドレの先駆者で裕福に暮らしている大城助一氏のことだ。借家の契約書に署名してもらえるかを聞きに彼を訪ねた。何年か前、彼は沖縄県人の会を作ろうと正輝を誘いにきたとき、敗戦に対する意見の食い違いで正輝は大城氏を家から追い出したことがある。別にそれを根にもっているわけではないが、保証人役を断られた。
幸い、ヴィラ・アルジラに家をもち、朝市でパステル屋をしている宮城氏が正輝の窮地をしって保証人になってくれた。
引越しは1959年4月から5月にかけて行われた。引越し道具はほんの少しだった。トラックで運んだのは27か28年、傷一つなく使われてきたジャカランダのテーブル、ガラス器の戸棚と食器棚、椅子とベッドだけだった。家のわりには家具がすくなかった。
ニーチャンはシケイラ・カンポス街の古道具屋で、伸び縮みできるテーブルと皮に似せたプラスチックのクッションつきの椅子を6脚、それと、同じ造りの客間の隅におく肘かけ椅子2脚、洋服ダンスをいくつか買った。ジャカランダのテーブルは台所に置かれ、家族はそのテーブルで食事した。これで、どうにかこの家に住めるようになった。
以前の掘っ立て小屋にくらべ、ずっと住みやすくなったものの、家族には選挙運動という大きな仕事が残された。
日系社会のリーダーたちはどの政党を選ぶべきか頭を悩ました。政党の事業計画など問題ではなかった。市会議員の席の数が問題なのだ。少なくとも、2席か3席獲得できるある程度知られた党でなければならない。
けれども、マサユキは政策に対して彼自身の意見をもっていた。そして、彼の理想に一番近いUDN(国民民主同盟)を選んだ。ヴァルガス反対派としてのしあがり、選出された大統領と対立した政党だ。
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