「コロナで高齢者を減らして年金負担を軽く」?
米ニューズウィーク誌は5月28日付ヤフーニュースで《ブラジルのコロナ無策は高齢者減らしのため?》との衝撃的なニュースを報じた。
《ブラジルが無策に転じたのは、コロナ対策会議で「高齢者が最もリスクが高い」と報告したとき。ある高官が「年金の赤字が減って結構」と言ったという》との内容だ。連邦政府は意図的にコロナ対策を無策にして、高齢者の死者を増やして、年金の負担を減らそうとしているという驚くべき告発だ。
3月当時はマンデッタ保健相を中心にコロナ対策会議が熱心に行われていた時期だ。だが、そこで重要な方向転換が起きていたという。
《方針転換のきっかけになったのは、3月の対策会議でクローダらが、高齢者の死亡リスクが最も高いと報告したことだという。
「死者が高齢者に集中するなら、結構なことだ」
その場でそう発言したのが、首席補佐官室の中でも民間の保険業務の監督責任者で、経済相と連携して年金改革に取り組むソランジュ・ビエイラだった。
「年金の赤字が減って、わが国の財政状況は改善する」と、ビエイラは述べたという》と報じられている。
ニューズウィーク特派員が、ビエイラ氏に発言内容を確認する取材をしたところ、《対策会議では「一貫して人命を守ることを第一に」話し合いが行われた》と主張したとある。ブラジル経験豊富な本紙読者にとって、どちらの発言に信ぴょう性があるかは明白だ。
これが本当ならボルソナロ政権はコロナ対策に関し「無策という政策」を敢えて執っている。
コラム子は「意図せず集団免疫に向かっている」と思っていたが、実は意図的かもしれない。
州政府と対立してコロナ対策の足を引っ張り、積極的に「コロナ無策」を実施している可能性がある。いくら死者が多くても「だから何だ!」と開き直って言える大統領の心の奥底には、そんな冷徹な計算があるのかもしれない。
少なくとも本紙読者は、ボルソナロの「意図的な無策」政策の犠牲にならないよう、極力自衛に務めて欲しい。
コロナと不況のダブルパンチに備えよ
第1四半期の統計数値が出てきて、今回のコロナ禍による経済的な大打撃が少しずつ明らかになってきた。
今年1~3月の就業人口は9220万人で、昨年10~12月の9450万人と比べて2・5%も減少した。ブラジル地理統計院(IBGE)によると、これは統計開始以来で最大の下げ幅だ(www.nikkeyshimbun.jp/2020/200501-15brasil.html)。
今年1月~3月の平均失業率は12・2%、失業者の実数は1290万人だった。この数字をその直前の昨年10~12月の平均失業率10・9%と比較すると、1・3%ポイント(P)も増加している。120万人が求職者に加わった。
そして、今年の第1四半期の国内総生産(GDP)は1・5%のマイナス成長となった(www.nikkeyshimbun.jp/2020/200530-13brasil.html)。
コロナ騒動が本格化したのは3月20日前後以降、「わずか10日間分」の影響でこれだけに大打撃を与えている。
聖州において外出自粛令が始まったのは3月24日からだから、その悪影響が継続した4、5月分が含まれた第2四半期の数字が発表されれば、さらに恐ろしいことになる。
今の数字だけで、すでに黒人や貧困層がより病死者を多く出し、さらに経済被害も受けているとの調査結果が発表されている。この部分も、次の第2四半期の統計数値では拡大する。
コロナウイルスは「人は殺す」が、失業者を増やすこともないし、経済成長率を下げる効果もない。「コロナ対策をどうするか」という人間が考えた政策が、失業率を上げ、成長率を下げる。
「パンデミックにどう対処するか」という部分で、工夫が足りなかったのではないかと悔やまれる。いままでロックダウンとか、外出自粛だけしか選択肢がないような状態だった。
コラム子は、「家にいよう」対策にこだわり過ぎたのではと感じる。それが経済を完全に止めてしまったからだ。本来のコロナ対策は「感染拡大を防止するために、社会的な距離をとる」ことだった。ならば理想的な対策は「感染拡大を防止しつつ、経済をまわすこと」のはずだ。
コロナ対策は、多くの識者が指摘するように数年がかりの「マラソン」であって、2、3カ月の「短距離走」ではない。ならば持続可能であることを前提にして、対策を打たなければ経済破壊はより壊滅的になり、それによる犠牲者・死者が極大化する。第2四半期の数字は、それを思わせるものになるだろう。
コラム子が言っているのは、大統領の「単なる経済開放」とは根本的に違う方向性だ。「きっちりと社会的な距離を保ちながら、持続可能なコロナ対策を講じる」と言う方向性だ。
「経済を回す」というと、すぐに「お前はボウソナリスタか」と後ろ指を指されるような風潮がオカシイ。その風潮自体に、コロナを政治化する部分を感じる。「家にいろ!」キャンペーンは、ボルソナロと真逆な方向だが、実は「コロナを政治化している」という部分では一緒だ。
▼「中央政府と地方政府で統一したコロナ対策は今後も打てない」
▼「4月、5月のコロナ対策でブラジル経済が壊滅的に破壊されつつある」
▼「コロナ感染拡大がまったく止まらない中、外出自粛を解除し始めてこれからピークが訪れる」
▼「この感染拡大の勢いが衰えなければ6月か7月にはピークを迎えてサンパウロ州も医療崩壊する」
――などの予想が当たりそうな現実がある。
「家にいろ」という論だけ繰り返しても、国民が従わない、従えない現実がある。先進国は「家にいろ」といえば、その分の休業補償をしっかりと出す。だがブラジルにはそれがない。家にいたくても、いられないのが現実だ。
とにかく「集団免疫に向けて一直線に進んでいる」という現実をしっかりと見きわめ、それを前提に「我々のような一般庶民がどんな自衛策をとれるだろうか」と考えるのが実践的、かつ前向きなことではないか。
今までの反省に立って現実を見た上での、マラソンとしての実践的なコロナ対策がもっと真剣に論じられてもいいと思う。
目的にすり替わったような「家にいよう!」
「家にいよう!」というスローガン自体は良い。だがそれは当初、感染拡大を防ぐための「手段」であって、「目的」ではなかったはずだ。ところが段々と「家に居る」こと自体が「目的」とされるような風潮にすり替わってきてしまった。
本来の「感染拡大をさせない社会的な距離を保つ」という原点に立ち返るべきではないか。
例えば、コラム子は朝早くほぼ誰も道に居ない中で、マスクをしながら黙々と歩く運動をしている。「周りに人がいないのに何でマスクをしなきゃいけないのか?」といつも頭に引っかかる。
コロナの場合は、飛沫感染はするが、空気感染はしない。周りにコロナ感染者がいるから、マスクで防御をしなければならないのであって、周りに誰もいないのにマスクをする意味はない。
同じ様に同乗者がいる場合は当然マスクが必要だろうが、一人で車に乗って運転しているのにマスクをする意味はあるのか。
ウイルスを殺す紫外線が降り注ぐような海岸は、本来なら一番安全な場所だ。人が周りに居なければ問題ないはずなのに、なぜ海岸への立ち入りを禁止するのか。他人との距離を保てば良いのではないか。
確かに「家にいれば、他人と接触する機会は極小化できる」。その点はまったくその通りだ。
だが家にいれば経済活動ができなくなる。経済はバケツリレーと一緒だ。自分が持っているバケツ(お金)を次の人に渡す(消費する)から、経済が回る。自分が使ったお金が経済というシステムを回り巡って景気を高揚させ、それが自分の収入に跳ね返る。
だから自分がバケツを次の人に回さなければ、経済システム自体が死んでしまう。たくさんの商店や企業が倒産し、そこで働いていた労働者が失業し、その分の収入が失われて、どんどん景気が悪化している。
「家にこもって自分さえコロナに罹らなければ、個人としてはコロナに勝った」ということになるかもしれない。
だが「家にいる」という方法にこだわったら、社会の方が壊れる。社会が壊れたら、個人も雇用を失うなどしてコロナに敗北する。
ならば「コロナ対策をしながら、できるだけ経済を回す」という発想をしなければ、社会としてはパンデミックには勝利できない。その具体的な方法が、前回の樹海コラムで紹介した「半自粛のススメ」(https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200527-column.html)だ。
考えようによっては年末までにコロナフリーに?
生物学者フェルナンド・レイナッキ氏はエスタード紙5月18日付に寄せたコラムで、《このままの感染拡大のスピードならブラジルは2カ月で集団免疫に達する》と衝撃な数字を発表した。8月18日ごろには集団免疫になるという説だ。
これが本当なら、自分がコロナにさえ罹らなければ、9月頃にはブラジルは「コロナフリー」(コロナの危険からフリーな場所)となり、公衆衛生上、世界でも最も安全な場所になっている。それが遅くズレでも今年いっぱいには集団免疫になる可能性がある。
レイナッキ氏の計算では、サンパウロ市内の感染最多地区の免疫所持率5・2%をベースに、現在の感染拡大比率をかけて計算したもの。15日で9・7%、30日で18・3%、2カ月で65%だ。
だが本当にこの通りのスピードで感染拡大したら早々にサンパウロ州でも医療崩壊が始まる。全伯の死者数は現在の3万人弱どころか10万、20万人に膨れ上がってもおかしくない。
本紙5月28日付《最悪なら1日のコロナ死者は3千人超?!=米国ワシントン大学が予測》は、まさにその数字を裏付けている。米国ワシントン大学の研究者の予測では、8月4日までの死者は最少で6万8311人、最多で22万1078人だからだ。
前者の数字は医療崩壊しない程度にゆっくりと感染拡大が進んだ場合で、後者は医療崩壊して劇的に死者が増えた場合だろうと推測される。
サンパウロ州はこれからピークを迎える中で、クアレンテナを段階解除する方向に進んでいる。今後感染拡大してブラジル全体で22万人死ぬのをけん引する場所になっていく可能性が大だ。
途方もなく大きな犠牲を払わされる。その悲しい現実を別の視点から見れば、「世界で最も早く集団免疫に達した一千万都市」として、9月から早々に経済成長への軌道を歩めるようになるかもしれない。
「できるだけ自分や身の回りの人が感染しないように最大限自衛する」という前提に立ってエゴイスティックに考えれば、一般社会で感染が拡大していくことは、早く集団免疫状態に達するという意味で、世界的な優位に立っている。
先進諸国が心配している第2波の心配をする必要もない。「抗体がいつまで持つのか。半年、1年、2年?」という疑問を投げる人もいるが、それを言うならワクチン接種も解決策にはならない。弱毒化したウイルスを接種して人工的に抗体を作るのがワクチンだからだ。
コロナ支援金が「貧困層向けベーシックインカム」に?
樹海コラム5月12日付《コロナ対策で1兆600億レアルを市場注入、インフレ再燃懸念も?》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200512-column.html)で書いたが、コロナ対策と称してGDPの10%に相当するような膨大な金額の新規国債が発行されることになっている。
国債を大量発行しても国家財政は破綻しないという、最近はやりの現代貨幣理論(MMT)的な方向にゲデス経済相の財政政策は舵を切ったように見える。「コロナ対策」と言う名目を使ってだ。
緊急支援金600レアルの給付は当初3カ月間だけだったが、現在では「年末いっぱい」とか「1年間延長」などの議論まで持ち上がっている。200レアルに下げるとか、そのままとか色々な話がでている。
このコロナ支援金はなんと6千万人に支払われている。イタリアの人口に等しい。正規雇用者が1200万人の中で、その4倍以上の失業者・無職者に払われている。
今まで貧困層向け経済支援の代表的なものは、労働者党(PT)の看板政策ボウサ・ファミリアだった。その対象者2200万人だから、その3倍近い人数に、コロナ支援金が支払われている。
もしもこれが続けば、「貧層向けのベーックインカム」的制度になる可能性がある。これは、政府が全国民に対して最低限の生活を送るのに必要な額の現金を定期的に支給するという政策だ。それを貧困層だけに限定した政策は、社会格差を是正するものとして賞讃される傾向にある。
その最たるものが「ボウサ・ファミリア」で、PT政権永続化政策の柱でもあった。これがあったから、北東部の貧困層はPTに投票した。
コロナ支援金が常設化されれば「もっとも優れた選挙対策」になるだろう。ボルソナロが18年大統領選で勝った時の得票数が5779万票だった。もしもコロナ支援金をもらう6千万人の大多数が、次の選挙でボルソナロに投票すれば、それだけで十分に勝てるぐらいの数字だ。
だがMMTにはインフレという限界がある。一般的には3~4%を超えたら普通はそれ以上、国債発行はできない。ブラジルは現時点で事実上のマイナス金利だとしても、3~4%を簡単に超えるインフレ体質を持った国といえる。
国債増刷でコロナ支援金を常設化した後、もしもインフレが始まって、国債発行を制限する必要が出てきた時、支援金を止めることができるだろうか…。と同時に国債大量発行は「未来の若者に借金を被せる」という意味でもある。
ボルソナロは、コロナに関しては「無策という政策」かもしれないが、次の選挙に対しては政府のお金を使って手を打っているのかもしれない。政治家が本当の所で何を考えているか、誰にも分からない。
コロナ死者数だけに目を奪われず、深いところの社会変化の予兆を見逃してはならない。(深)