2019年4月から本年3月まで滞在したブラジル日本交流協会(神戸保会長)の協会生7人の体験談を、順々に掲載する。コロナショック直前に帰国した皆さんは、それまでの1年間で存分に当地での触れ合い体験を堪能した。20代前半の日本の若者に、ブラジルはどう見えるのか。自分のブラジル初年と重ね合わせて読んでみて欲しい(編集部)。
ブラジルで学んだ日常の幸せ
黒田稜子(東京、22)。神田外語大学3年時を終え、研修制度に参加。ブラジル日本交流協会の研修先はアルモニア学園。趣味は旅行とフラメンコ。
私とブラジルとの出会いは、現在通っている大学のオープンキャンパスに訪れた際、ブラジルポルトガル語の専攻長から熱烈な“ブラジル愛”を感じたことがきっかけでした。
その後、入学してポルトガル語を学ぶことになるのですが、日本に流れてくるブラジルのニュースは、スリや強盗などの治安の悪さや汚職などマイナスなものばかり。私も「ブラジル=危ない」という固定概念にとらわれていました。
しかし、ブラジルから帰国した友人や先輩方は、晴れやかな表情をしていて「もう一度行きたい!」と口をそろえて言うのです。私は彼らを魅了するブラジルがどんな国なのか、自分の肌で感じてみたいと好奇心に突き動かされ、このプログラムへの参加を決めました。
研修先は、サンパウロ市セントロから車で1時間ほど離れたサンベルナルド・ド・カンポ市にあるアルモニア学園でした。もとは地方在住の日系人がサンパウロの大学に通うためにつくられた寮だったので、日本の道徳を積極的に取り入れているほか、中学生まで日本語や日本文化の授業が必修となっています。
私は主に日本語と太鼓の授業のサポート、そしてより日本について知ってもらうため、けん玉のワークショップや大会の開催、47都道府県のご当地グルメを地方ごとに紹介など、先生方に指導していただきながら企画を練り、実施しました。
今でこそ楽しい思い出ばかりが蘇りますが、はじめは様々な壁にぶち当たり、1日1日を過ごすのに必死でした。
まず、生徒や先生方の名前を覚えるのに苦戦しました。小学生だけでも約150人が在籍しています。似た名前が多いだけでなく、同じ顔に見え、記憶するのが得意ではない私にとって苦行ともいえるほどでした。そこで、ノートに一人ひとりの顔と名前を書き、いつでも振り返れるようにしました。
また、子供たちは私がポルトガル語を聞き取れるかどうかなどお構いなしに、一斉に話しかけてきます。最初は、コミュニケーションをとりたいのに聞き取れない、うまく返せないことがもどかしかったですが、たくさん聞くことで徐々に意思疎通がとれるようになりました。
私は少し躓いたり失敗をすると、「足りない、もっと頑張らないと」と、成長したいという気持ちが強くある反面、常に不完全な自分に自信を持てませんでした。
しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、ブラジルで出会った人たちから「あなたは私たちの家族だよ」「最高、大好き」とたくさん嬉しい言葉をかけてもらうことで自信がつきました。
またエネルギッシュかつ優しさが溢れる人々と交流する中で、「自分が悩んでいたことは大したことではない」という意識に変わり、今まで好きになれなかった自分をまるごと愛せるようになりました。
日本にいると「いつも何かに追われていて、幸せが遠くにある」感覚でした。しかし、ブラジル人は日常を大切にし、その中で幸せを見つける天才です。家族と話す、ご飯を食べる、ギターを弾く、歌って踊る。そういった「何気ない日常を大切に育み、全員で楽しんでいる」姿が印象的でした。
また、感謝の気持ちや周りの人を愛しく思う気持ちをストレートに伝えます。私たちが幸せになるために必要なのは何かを得ることではなく、みんなと過ごせている今が幸せだと気づくこと、そして、それを素直に真っすぐ言葉にして伝えることが大切なんだと学びました。
「RYOKO SAUDADES! TE AMO!」(リョウコ、さびしいわ。大好き!)
帰国してから1か月が経ちますが、毎日ブラジルで出会った人たちから温かいメッセージが届きます。その度に、彼らの明るい笑顔や楽しかった思い出が蘇ります。ブラジルでの1年間は、様々な文化や価値観にたっぷりと触れ、私の生き方の幅を広げてくれました。関わってくださった皆さん、ありがとうございました。