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中島宏著『クリスト・レイ』第4話

 さらに、利益が上がった余剰金で、もっと奥地の広い土地を購入して行き、それまでには考えられなかったような規模までに増大させた。この頃になると、農業だけにとどまらず、牧畜にも進出していったから、総体的にはかなりの面積を持つことにもなった。
 そして、その拠点は、バウルーからさらに北西に百五十キロほど奥に入った、リンスの町の近郊に移っていった。正確にいうとそれは、このノロエステ鉄道の、エイトール・レグルー駅(現在のプロミッソン)に近く、ここで農業を続けつつ、同時に広大な面積を利用して、牧場経営も手がけていった。
 この時代に、マルコス・ラザリーニが生まれた。一九一六年、六月のことである。
 当時、このノロエステ鉄道の沿線には、日本からの移民としての初期のグループが、この地方に入植して来ており、彼ら日本人にとってその頃はまだ、暗中模索の状況にあった。ブラジルという国への無知さ故に、大きな悲劇が繰り返されていったのもこの時代だったのである。

 時代が少し飛ぶ。一九三四年のことである。
 この年、マルコス・ラザリーニは十八歳になっていた。この時、彼はノロエステ鉄道の沿線のプロミッソンという町から十五キロほど離れた所にある父の農場に住みながら、家業を手伝っていた。小学校は農場内にあった学校で学んだが、中学校は同じ沿線にある、もう少し大きな、リンスという町まで出て、そこで勉強した。
 その上の高校は、さらに遠い同じ沿線のバウルーの町へいって三年間勉強し卒業した。当時はそれ以上の勉学はまず必要性がないと考えられていたから、卒業後取りあえずは、まず、家業を実地に覚えることの方が大切だろうということで、農場で働き始めることになった。
 それでも彼の場合は、家が農場、牧場を経営していたのでそれだけの余裕があったため、高校まで勉強できた。それは、この当時としてはかなり恵まれた環境であったといえる。一般の家庭では、せいぜいが小学校までであり、中学すらも満足に行けなかったのが大半だったからである。
 家業といっても、マルコスはずっと農牧場で育ってきているから、幼い頃からいろいろな仕事を手伝ってきているため、およそのことは把握しており、別に難しいことではなかった。
 ただ、この時期、彼は向学心が強いところがあって、いずれ将来はもっと上の学校に進みたいという願望を持っていた。が、現実には、この仕事に集中して経験を積むことが、彼にとっての直接的な義務のようなものであったから、働くことに専念する他には選択肢がなかった。
 もちろん、働くことが嫌いということではなかったが、できれば仕事と並行するようにして、勉学の方も続けられれば、理想的な形だというふうに彼なりに考えていたということである。
 そんなある日。高校で彼と一緒に勉強した仲間で、近隣に住む友人が、マルコスに一風変わった話を持って来た。それは二月の、ようやく夏の暑さが峠を越そうとする時期であった。
「なあ、マルコス、今度俺、ちょっと日本語を勉強しようと思うんだが、お前一緒にやってみる気はないか」
 その友人は、エンリッケ・サンパイオと称して、マルコスとはずっと中学から高校まで一緒だったが、特に勉強ができるというタイプではなかった。