ブラジルゲートボール連合元会長・本藤利(ほんどう・とおる)さんが29日午前10時15分、入院先のサンベルナルド市のアスンソン病院でコロナウイルス感染症が悪化して亡くなった。享年87。外出自粛要請が出ているため、葬儀は親族だけで執り行われ、ミサなども未定。
本藤さんは長野県出身で高校卒業後、1954年7月30日神戸港出航の「ぶらじる丸」で渡伯。サンベルナルド市のみずほ植民地に入植した。以後、同地で農業を営み、一時期は鶏屠殺場やブロック工場なども手掛けた。
84年にみずほ文化協会会長に就任し、翌年に同協会創立50周年記念式典を挙行した。97年にブラジルゲートボール連合会長となり、2010年まで6期12年間にわたりゲートボールの普及振興に尽力した。この間、1998年には世界初の16面のゲートボールスタジアムをサンパウロ市内に建設した。
2001年には第45回パウリスタスポーツ賞を受賞、05年に日本政府春の叙勲で旭日単光章を受章した。