ホーム | 文芸 | 連載小説 | 中島宏著『クリスト・レイ』 | 中島宏著『クリスト・レイ』第8話

中島宏著『クリスト・レイ』第8話

 あるいはこれは、ブラジルに移民したことによって、人々は宗教までも変えて改宗したということなのだろうか。
 が、しかし、そのようなことは常識からいっても考えにくい。確かに、自分たちの人生を大きく変えてしまうほどのインパクトを、移民というものは持っている。が、それだからといって、それまで心の拠り所としてきた宗教までを、それによって変えてしまうというような発想は生まれて来ないだろう。
 だとすると、ここにいる日本人グループが持っているキリスト教の教会は、いったい、どういう意味を持つものなのか。それを知るには、日本語を通じて日本人の持つ精神的な面を理解できれば、その答えが見つかるのではないか。そんなふうにマルコスは考えてみた。
 今まで、ほとんど何の関心も持っていなかった日本人に対して、このように急激な思考の変化が現れるというのは、いささか奇異にも取れるのだが、実際に彼にはそのような、いってみれば心境の変化がこのとき起きたとしか思えなかった。それは彼自身にとっても、誠に不思議な現象であったといえよう。

 マルコスたちの日本語塾を担当している、アヤ・ヒラタ先生は、日系人ではなく日本からの移民であった。つまり、日本人である。
 一年ほど前に、永住を目的として日本からブラジルにやって来たらしい。普通の農業移民ではなく、どうも、この教会の関係者としてこちらの教会から呼び寄せられたようであった。
 彼女自身の家族は日本に残り、彼女の叔父の家族と一緒に移民してきたということのようである。彼女だけが、教会の仕事に携わっているようで、叔父とその家族は、この近くにある植民地に入植し、とうもろこしや落花生、それにコーヒーの栽培を手がけているようであった。
 もっとも、そのような事情が分かり始めたのは、もっと後になってからのことであり、最初はただ、この若い先生の話す日本語を一生懸命聞き取ることだけに集中していた。
 最初の日に、自己紹介とともに、私があなたたちの日本語の学習を担当する、アヤ・ヒラタ先生ですという説明があった。が、正直なところマルコスには、彼女がひどく若く見えたから、何だか先生と呼ぶにはふさわしくないような気持ちを持った。ブラジルに来て一年目が過ぎたというが、その割にはポルトガル語がうまく、結構、難しい言葉も知っており、それなりに勉強をしていることを思わせた。
 もっとも、ポルトガル語は、ほんの時々、それも必要なときにしか使わず、授業はほとんどすべてが日本語で行われた。マルコスたちは最初かなり苦労したが、しかし、時が経つにつれて慣れていくに従って、かなりの程度まで分かるようになっていった。
 日本語の勉強を始めてみて気が付いたことだが、マルコスにはこういう面、つまり語学の素質が意外にあるということが分かってきた。そういえば高校のとき、フランス語や英語などは比較的簡単に理解でき成績もよかったから、今から思うとそれなりのこの面での能力があったということはいえるようであった。
 ただ、そういうヨーロッパ系の言語と、日本語とではまったく違い、ポルトガル語との共通点すらまるでないから、最初の取っ掛かりのところでかなり難渋した。もっとも、マルコスの場合は前述したように、日本語を勉強する目的というものをかなり明確に持っていたから、その入り口のところであきらめるというようなことはなかった。