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中島宏著『クリスト・レイ』第10話

 この時の、一九三〇代に使われていた日本語の教科書は、当時の日本から持ち込まれたもので、第四期国定教科書としての「尋常小学国語読本」であった。巻一から巻十二までの、十二冊からなる教科書で、巻一は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」の文で始まっている。
 これは、一九三三年(昭和八年)から一九四0年(昭和十五年)まで、日本の全小学校で国定教科書として使用されたものである。  それを使って、マルコスたちは勉強した。ほとんど成人になっている彼らにとって、この教科書の内容は、いささか単純に過ぎる感じではあったが、しかし、まったく文字を知らない者にとっては、そこから入っていくのが適当であり、時間をかけつつ覚えていくには、至極妥当なものともいえた。
 マルコスは、この最初に覚えた文章が気に入り、ずっと後々までそれを忘れることはなかった。単に普通名詞を羅列して表記するのではなく、ひとつの文として表してあるところに特徴があり、面白いと思った。ある意味でそれは、簡素な形を持つ詩でもあった。日本語の文字を覚える最初の段階で、このような文章に出会ったことは、マルコスにとっても幸いであったというべきであろう。
 ただ、彼にとってはサクラの意味がよく理解できなかった。 「サクラは、(桜)と漢字で書きますが、これは日本の国を代表する花です。菊の花とともに、桜は日本を象徴する花でもあります」
 アヤはそう説明したが、それだけではどうも要領を得ない。 「ポルトガル語でいうと、何ですか。ブラジルにも同じ花がありますか」
 マルコスが聞いてみた。 「ポルトガル語では、セレージャになりますが、ただ、これはサクランボを意味し、日本の桜とは違います。桜は立派な花を咲かせますが、食用になるような実はつきません」
 要するに、ブラジルには存在しない花であり、当然、マルコスたちも一度も見たことがない花であった。日本の国を代表する花ということであれば、ブラジルの場合はイッペーの花に例えられるのかもしれない。花そのものは、まったく違うものだが、その国を代表するということであれば、同義語ということにもなろう。
 ブラジルならさしずめ、「サイタ サイタ イッペー ガ サイタ」となる。
 マルコスは、そう呟いてみて、くすりと笑った。この着想は、我ながら悪くないと思った。彼は、そのようにユニークな発想をする生徒でもあった。ある意味ではそれが、日本の文化に興味を持つ下地になっていたのかもしれなかった。いずれにしてもこのことは、誰にでも起きるということでなく、彼のような事例は特殊と言うべきものだったであろう。
 一年もすると、マルコスの日本語はめきめき上達し、初歩の段階での勉強はもう終了し、次の課程に進むというレベルになっていた。これを機会に、彼は上級の学級に編入されることになったが、ただ、そこで問題が起きた。彼の場合、正規な学年での授業は、年齢的なこともあったが、仕事の関係で時間的な余裕がなく、朝からの毎日の授業は、とても受けられないという事情があった。