サンパウロ市のブルーノ・コーヴァス市長は6月29日、サコマン区にある保健所(UBS)の名称を「エジムンド・進・藤田大使」とする法案に署名した。法案を提出した野村アウレリオサンパウロ市議は、「藤田氏は外交官として、さらにブラジル国内の世界保健機関(WHO)でも健康環境改善のため最前線に立ち取り組んできました」と藤田氏の功績と今回の命名の意義を語った。
藤田氏は、日系人初のブラジル外交官としてロンドン、東京、モスクワ、ニューヨーク国連代表部に勤務し、WHOが推奨する健康水準への向上や保護に力を注いだ。また国家戦略庁副長官に就任後も同様に健康や医療分野で活躍をしている。
他にもアジア・大洋州局長を経て駐インドネシア大使や駐韓国大使を歴任。2015年にはブラジル外務省サンパウロ代表事務所次席大使となっていた。16年4月6日に肝臓がんのため66歳で亡くなった。
「2カ国以上の間で締結された契約に関して、各単語の意味をよく理解すること」――藤田氏が生前よく口にしていたと野村市議は懐かしそうに振り返る。外交官は契約に関する問題に度々対処せねばならないため、「最も重要なこと」だとよく話していたという。
日系人の矜持をしめすため「正直・謙虚・思慮深さをもち、常に誠実な姿勢で前向きに取り組もうと言っていました」と故人の人柄がうかがえる言葉を懐かしそうに思い返した。
藤田氏は1950年3月7日に太陽堂経営者の藤田芳郎氏長男としてサンパウロで出生。1972年12月にサンパウロ総合大学法学部卒業後、73年4月に文部省国費留学生として東京大学法学部に留学し、75年にブラジル外務省外交官養成学校「リオ・ブランコ学院」へ入学した。
76年、三等書記官として外務省へ入省し外交官のキャリアを開始した。ブラジルでの国際関係の強化と健康・教育・テクノロジーに重点を置いた外交政策制定に取り組んできた。