外出自粛という時代になって、私は再びウイルス感染症という言葉を思い起こし、本棚を見上げました。
それは数年前、東京の本屋で偶然手にした 山内一也氏の著書『キラーウイルス感染症』(ふたばらいふ新書)の本でした。新書は持ち易いのと、南米に移住した我々がウイルスとの共生について、もっと知っておかなければと言う思いがあったのです。
微生物の研究は十九世紀半ばから始まり、健康に関する病原菌の存在が明らかになって、感染症のワクチンが開発されてきました。
私の子供達は予防接種のおかげで、大病する事なく育ちましたが、80年前の私が幼児の時は、疫痢で危険な状態になり、東京の専門の病院へ搬送され、梅干しを口に含んではひまし油をガブ飲みさせられたのを記憶しています。
また祖母は100年前のスペイン風邪で、幼い子供達を残して36歳の若さで亡くなったと聞いています。
ブラジルで緊急事態宣言がなされた日、この町ではインフルエンザの予防接種が始まりました。外出自粛の中で街中へ出かけるのは迷いがありましたが、100年前のスペイン風邪がこのインフルエンザワクチンのAH1N1型であったことを知って接種する決心がつきました。
過去にワクチンを接種したにもかかわらず、インフルエンザにかかったことや、COVID19が蔓延したとき、どちらの病気か分からなくなるかもしれないと思ったのでしたが、本を読み進めるうちに、もっと恐ろしいことが解ってきたのです。
COVID19と名のついたウイルスが何に属するものか知りませんが、鳥インフルエンザと人インフルエンザに感染すると、ウイルスのDNAの一部が組み換えを起こして、新型インフルエンザの原因になると書かれていました。今回のウイルスの発生地を考えて早々に接種をすませました。
ブラジルに来て最初に感染症を意識したのは、近隣の町イタクアケセツーバで、天然痘が発生したときでした。ジェンナーの話は子供時代に聞いていて種痘は受けていましたから遠い昔のものとばかり思っていました。しかし、南米、アジア、アフリカでは1960年代、まだ発生が続いていたのです。
これまでに家族はウイルスとの戦いを何回か繰り返してきたのですが、一番怖かったのは狂犬病です。発症したら100%の死です。1973年友人が双子を身籠っていて、見るに見かねて預かった犬が狂犬病になったのです。
狂犬病については私が9歳の時、学童疎開地で男子生徒が狂犬病で死んだのです。朝礼の時校長先生が「知らない犬や猫に触ってはいけません。甲府にはツツガムシ病があるから、水たまりや沼のようなところへ入ってはいけません」と言ったのを記憶していました。
また当時、上の娘達に読ませていたトルストイ童話に「犬の話」があって、預かった犬の動作がよく似ていたのです。庭の草花を噛み散らし、トラノオには歯形がついていました。そしてテーブルや椅子の脚などあたり一面舐め回すのです。私も踵を軽く噛まれて舐めまわされました。
子供達が4人遊びにきていた日、吠えまくっていた犬が急死したのです。まだ2期の症状でしたが私は狂犬だと直感しました。
翌朝、パウリスタのパスツール研究所へ運んでもらい、次の日狂犬であることが判明したのです。夫はサンパウロへ3日ほど通い、書類を揃えて13人分の血清を貰ってきました。
最初の接種は6時間経って、誰も血清病にならなかったのでほっとしましたが、5日目の朝、1歳7カ月の末娘が熱を出しました。熱冷ましを飲ませて様子を見ていると熱が40度を超えぐったりしてしまったのです。
私は車のライトをつけ、ブザーを鳴らし、窓から手を出して合図をしながら小児科医の診療所へ走りました。娘は水を張ったタライの中で頭から水をかけられ、三十分もそうしているうち、熱は37度まで下がったのです。
「どんなことがあっても、14日間の血清注射は続けなければならない!」
それが医師の一言でした。そうやって14日間の血清注射を終えました。熱を出した末の娘は成人して獣医になりましたが、犬猫を扱うための予防接種をするとき、狂犬病の抗体があったため、ワクチンを打たなかったと聞いています。
最近NHKで「フィリッピンから帰国した男性が狂犬病を発症しました。日本では14年ぶりです」と放送していました。
1970年代、南米では何千人もの死者がいたとか、ミャンマーでは犬の予防接種が最近始まったばかりと聞きます。
ウイルスについて私は細菌より小さい生き物ぐらいに考えていて、タンパク質だとは知りませんでした。アフリカでエボラ出血熱再発と聞いても、遠い一地域のことだと考えがちでしたが、世界がグローバル化してCOVID19が一瞬ともいえる速度で地球全域に広がってしまったことを、この4カ月余りでつぶさに目にしてきました。
ウイルスで危険性の高いものは出血熱や脳炎を起こすもの、呼吸困難になるものや、腎障害を起こすものなどさまざまあって、致死率も感染者の半数になったものや90%になったものもあったようです。
南米にはアルゼンチン出血熱、ボリビア出血熱、ベネズエラ出血熱、ブラジル出血熱があります。ハンタウイルス肺症候群と呼ばれるものは、北米から南米にかけて全域に存在し、元は同じウイルスが長い年月にわたってそれぞれの宿主であるネズミと共生してきた結果、少しずつ性質の異なるウイルスになっているそうです。
宿主のネズミは病気を起こすことなく一生ウイルスを持ち続け、尿で撒き散らされたウイルスが、埃と共に人間が吸い込むと考えられています。人間がウイルスの宿主なら絶滅する可能性がありますが、哺乳類の中で最大の種である齧歯類となると、絶滅は考えられず、ウイルスは生き残ります。
生き物を殺すのは心が咎めますが、今はそう言っていられません。ほとんどのウイルスの宿主となるネズミや蚊だけは共存できないと思っています。
ボリビア出血熱となった宿主はブラジルヨルマウスというネズミで、サンホアン地域では、開拓地の住民のほぼ半数が感染し、その50%が死亡した出血熱でした。
農業移住者として南米にやってきた我々の先達が奥地を開拓するに当たり、どれだけマラリアなどの感染症の犠牲になったか、書物に目を通すたびに心が痛みます。ウイルスの研究が本格的に始まるのは第2次世界大戦以降ですから、若くして原野に倒れた人の中には、病名も分からぬまま亡くなった方もいたと思います。
新型コロナウイルスが蔓延のさなか、経済政策の憂慮もあって、外出制限が緩和されてくると、ストレス解消などと言って、若い人や子連れの母親が一気に街へ繰り出すのを見ると、何かが足りないと思うのはなぜでしょう。
「生きることの教育が足りないのではないでしょうか」
義務教育時代に、自然災害から身を守る訓練や、感染症の細菌やウイルスに対する知識をしっかり学んでいたら、自分自身だけでなく周囲の人々の命も守ることができると思うのです。三蜜を避けることを徹底していたら、ウイルスの蔓延を防ぐことも不可能ではないのです。
今、私たちは新型コロナウイルスが終息するのをひたすら願っている訳ですが、地球上には再発を繰り返すウイルス、風土病と言われるウイルス、家畜や鳥類が運んでくるウイルス、実験室から発生するウイルス、開発によって発生する新型ウイルス、まだ解明されていないウイルスなどなど、これから先もこれらのウイルスとの共生が考えられます。
この手強いウイルス感染症について21世紀を生きるために、私たちはもっと学ぶべきではないでしょうか。