戦前、日本移民の最大の敵はまさにマラリアや森林梅毒、十二指腸虫病、トラコーマ、黄熱病などの感染症だった。
中でもマラリアの次に、戦前の日本移民を悩ませたのが「リーシュマニア症」で、移民は「森林梅毒」と呼んでいた。ポ語では「Leishmaniose」、ポ語通称「ferida brava」だ。
『40年史』にも《罹病数においてマラリアの様にはなはだしくはないが、一種特色のある病気で、その症状たるや外形すこぶる醜悪な所から長い間、黴毒性伝染と見られていた》(394ページ)とある。
今でもWHOの試算によれば、88か国1200万人がこれに感染しており、緊急対策を要する6つの感染症の1つに指定されている病気だ。
ブラジルで多いのは粘膜皮膚型(エスプンディア espundia)。《刺された箇所から広がって鼻や口腔、喉頭の粘膜にまで転移し、進行すると顔の外観を損なうほどに悪化して時に致死的になる》《トリパノソーマ科の原虫リーシュマニアの感染を原因とする人獣共通感染症の総称で、ビリグイ(サシチョウバエ類)によって媒介される》と同ウイキぺディアにはある。
『信ちゃんの昔話』第9巻の3話から前節で紹介した「人の周囲に集まった何万匹」の一種だ。
同3話には、虫よけに関するこんな苦労話もある。《このうるさい虫を追い払う為に、効果があると言って煙草を吸うようになった人もコロニヤには多いのである。(中略)従って、この小虫たちにかまれた為に、土負けといった、あのオデキが出来たと言われれば、それも納得は出来るのである。とにかく、開拓時代の雨模様の時などは、食事をする時ズボンのスソから蚊や小虫たちが入って刺すので、穀物空き袋の中に両足を入れて、口をしばっておいた覚えがあるが、今では想像さえつかない様な話である》(PDF版33ページ)
森林梅毒に関しては、こんな具体的記述も。《かかるとなかなか治らないので困る。治らないからと言って、包帯でもしてホッテ置くと、困ることは鼻の頭が腐って落ちて、白い骨が見える事になるのである。気の毒な事であるが、醜いものである。昔はたまにそうした鼻を落とした人をみたものである》(PDF版20ページ)
さらに《その殆どが足のスネの骨の上に出来ているものが多かった。直径二センチから三センチ位の大きさの丸いキズが、他の出来物のように盛り上がらずに、反対に深く掘れてゆき、その表面に皮を張らずに、生の肉がそのまま見えているので痛そうであり、見ても気の毒なものであった》(同)とある。
医者の居ない移住地では、手当のしようもなかった。《それは誠に気の毒な姿であったので、予防もなければ、安心できそうな治療法もみつかっていないらしい。この病気にかかりたく無いものと願うばかりであった》(同)と同情的に書かれている。
もしも自分が病気になって医者にかかれば、日本への帰国がそれだけ遅れて家族全員に迷惑がかかる。できるだけ罹りたくない。そう願うしかなかった時代だった。(つづく、深沢正雪記者)