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日本移民と感染症との戦い=世界最大の日本人無医村で(14)=「在伯邦人の衛生戦線異状あり」

戦後に救済会で世話した肺病患者の数を示した表(救済会所蔵)

戦後に救済会で世話した肺病患者の数を示した表(救済会所蔵)

 WHOの報告書によると、伝染病の代表格である「結核」は過去の病気ではない。今でも世界の10大死因の一つになっており、事実、2017年には世界全体で1千万人が罹患し、130万人が結核で死亡している。日本移民も戦前から結核には苦しめられてきた。
 《一九三四年頃より、著るしく同仁会の苦悩を増したのは肺結核患者の出聖激増であった。従来と雖も邦人中肺患者は相当に多く、療養所の設備を欠く同仁会は常に之が処置に悩まされ、姑息乍らも当りサンタ・カーザの如き慈善病院、その他の施療院等に入院せしめ、辛じて当面を糊塗した。その後肺患者の出聖は激増する一方で、それ等の患者が直接に救済方を同仁会に嘆願し、或は総領事館に出頭して救護を哀願する等の始末で、正に在伯邦人の衛生戦線異状あるを思はしむるものがあった》
 創立者の一人、ドナ・マルガリーダ渡辺で有名な「サンパウロ日本人救済会」は、日本が敵性国になった第2次大戦中、カトリック教会の庇護のもとに唯一活動を継続した日系団体だ。大戦中の1942年6月に発足して以来、サンパウロ日伯援護協会が発足する1959年まで、邦人保護を一手に引き受けていた。
 1942年7月に日本国外交官は交換船で一斉に引揚げ、残された移民たちは心細い思いの中で、「敵性国民」として迫害されると同時に、病気にも苦しんでいた。
 援協が59年に発足するのに伴って、救済会は重荷の多くをおろし、日本移民50周年である1958年に高齢者福祉に活動を絞って「憩の園」を創立した。救済会は今年正式発足から67周年、援協の方は昨年60周年を迎えていた。
 その救済会の資料には、終戦後に肺病患者を世話した数が記されている。戦中から52年までの記録はないが、53年から「肺患者」という項目が立てられ、53年=342人から年々増えて、61年には783人にもなった。
 このわずか9年間でなんと延べ5346人の肺病患者の世話をしている。その重病者はみな前節に紹介したカンポス療養所に送られた。おそらくそれ以前の1942年から52年までの10年間にも同数以上の世話をしていたに違いない。

サンパウロ日伯援護協会のさくらホーム(援護協会提供)

サンパウロ日伯援護協会のさくらホーム(援護協会提供)

 60年代に入ると抗結核薬がブラジルでも普及して治療が容易になり、療養所の必要性が下がった。それに伴い、このカンポスの肺結核療養所は1965年から援協の運営となり、81年からは喘息患者の受け入れをし、現在では老人養護施設「さくらホーム」となっている。
 本紙19年4月9日付「薬剤耐性の高い結核増加=3倍に増えて1日3件も」にも、ブラジルの結核死者として《毎年、約4500人(1日約12人)が結核で命を落としている。予防接種率が低く、麻疹(はしか)の流行が起きたアマゾナス州は、結核の発生率も72・9人/10万人と高い》と報じられている。
 新型コロナは基本的に飛沫感染と言われているが、結核菌は空気感染することが学術的に証明されている。そもそも「空気感染しかしない」のが結核の特徴で、「絶対的空気感染」と呼ばれる。
 感染者がくしゃみをすることで、結核菌を含む飛沫核が空気中に浮遊し、これを周りの人が吸入して、口腔・鼻腔、上気道、気管支から入って肺胞に到達して増殖することで感染となる。
 「空気を吸えば感染する」訳だから、社会的な距離をとって「相手と2メートル離れていればうつらない」という新型コロナよりも、はるかに危ない感染経路といえる。
 きっと人類は、どんなに怖い病気にも一定の慣れを身に付けることができるようだ。時間と共に、共生する心構えを身に付けていくのだろう。(つづく、深沢正雪記者)