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中島宏著『クリスト・レイ』第25話

 なぜ、そのようなことが可能になったのか。そこにまた、新しい疑問がわいてくる。彼は、特に宗教に興味を持って、それを探求するというようなタイプではないが、しかし、このように日本とキリスト教との関わりを聞かされると、その辺りをさらに知りたいという心境になってくる。彼にとっては、日本人そのものが一種、神秘的な存在でもあり、そういう人々をもっとよく知りたいという気持ちが、徐々に膨らんできている。
 そして、マルコスにとってそれらの人々を代表する人間が、自分の目の前にいるアヤであった。それはあるいは、ある種の口実みたいなものかもしれなかったが、しかし、このときの彼にとって、アヤもまた神秘的な存在であり、もっと深く知りたいという、立派な対象になり得る存在でもあった。
 そもそもアヤはなぜ、ブラジルへ移民としてやって来たのか。東洋と西洋という、まったく相反した世界に移り住むというほどの覚悟は、一体、どこから生まれてくるものなのか。たとえば、仮にマルコスが東洋の日本という国に渡って、そこに永住しようとする時、そのような覚悟が簡単にできるのかどうか。
 それまで全然見たこともない、言語も分からない、生活環境から習慣までがことごとく違う国に、果たして何の抵抗もなく入っていけるものかどうか。アヤを始めとする、日本から来た人たちの、そういった状況や背景というものを考える時、普通の感覚ではそのようなことが、そう簡単にできるとも思われない。
 自分が、そのような立場になったら、どんな行動を取るだろうか。
 マルコスは、そんなふうに考えてみるのだが、どうもその辺りになると、一向に要領を得ない。仮にそれが想像上のことであるにしても、中々それを自分のものとして当てはめることはできないという感じになってしまう。確かに、移民は日本からだけではなく、ヨーロッパの多くの国々からも、何十万人もの単位で大勢の人々がこのブラジルにやって来ている。  だから、移民そのものには、さしたる不思議さも疑問もわいて来ないのだが、しかしそれが遥か遠い、まったく未知の世界からの人々となると、話は別である。彼ら、日出づる国の人々が、ここまでやって来た原動力というのは一体、何なのか。
 何のために彼らは、このとんでもない遠い国までやって来ることになったのか。その辺りの事情となると、マルコスのようなブラジル人には到底、窺い知れないような風景に映ってしまう。  坂道を登りきると、そこには一面にコーヒー畑が広がっている。
 数メートルほどの高さのコーヒーの木々が整然と列を作るようにして、遠く地平線にまで延びている。この辺りの畑はすべてコーヒーである。この地方でのコーヒーの収穫は五月末辺りから始まり、八月半ば辺りまで続く。二人が歩いているこの畑のコーヒーの木々の枝には、すでに朱色になった実がたわわに実っている。 収穫期がもうすぐそこに来ていた。  ノロエステ鉄道沿線の、カフェランジア、リンス、それに、このプロミッソンの各町の一帯は、なべてコーヒーの生産地である。原生林が開かれて作られていったこの地方のコーヒー畑は、元々、土地が肥沃であったため、かなり高い収穫量を誇り、サンパウロ州でも常に上位を占めるほどの成績を上げていた。