ボルソナロ大統領のイデオロギー路線は完全に行き詰まった。その象徴が、極右思想のアブラアン・ウェイントラウビ氏が6月に教育相を解任されたと同時に“米国逃亡”を図ったことだ。
イデオロギー路線は「ボルソナロ氏に不利な判断ばかり下すような最高裁は閉鎖しろ!」「古い政治手法にまみれて腐敗した連邦議会は封鎖しろ!」「軍事政権を復活させろ!」というような方向性で、その運動を広める手段としてフェイクニュースをSNS拡散させてきたと言われる。
だが、連邦議会では上下両院合同のフェイクニュース議会調査委員会(CPMI)が立ち上げられ、最高裁でもフェイクニュース捜査が命令されて、大統領支持派の企業家やユーチューバ―がつるし上げられている。その挙句、7月にはフェイスブック社本社が親ボルソナロ派のアカウントを大量削除するに至り、完全にイデオロギー路線は破たんした。
と同時に、「新自由主義経済の原理主義者」とも言われているゲデス経済相も、政権内でどんどん追い詰められている。
国民から大人気だったマンデッタ保健相が外出自粛を擁護したために4月に大統領から更迭され、「ラヴァ・ジャット作戦の国民的英雄」モロ法相が、大統領との意見の食い違いから辞任した後の4月28日付本欄コラムに、こう書いた。
《モロの次に閣僚から離脱するのは、ゲデス経済相という噂が流れ始めている。
というのも、ゲデス経済相は「小さな政府」「緊縮財政」を唱えてきた。個人の自由や市場原理を中心に民間活力を最大限に活かし、できるだけ政府は市場経済に干渉しないという考え方の人だ。だから省庁や公務員大幅削減を実施し、歳出を削るためのプランを次々に出してきた。
この6月までに税制改革を行い、その後も行政改革などの構造改革を進めることを主眼とした経済政策を主張してきた。
それがコロナショックで、国家財政の10%に当たるような救済支援金支出が決まり、一気に吹き飛んだ。今後、企業救済プランでさらに大量の支出が生まれる。コロナを理由にすれば「なんでもアリ」のような状態になってしまった。
軍人閣僚が中心になって経済活性化計画(PAC)、PT政権時代によく立案されたバラマキ型の復興計画が練られており、その企画の記者会見にゲデス経済相は出席しなかった》
まさにその動きがここ1カ月間で本格化した。憲法改正案が承認されて、コロナ対策に関しては今年だけ特別な“戦時予算”扱いされて、歳出上限法を守らなくてよいことになっている。だが予算を使いたくない政治家はいない。“戦争予算”の勢いにのって、現在連邦政府内で審議中の21年度予算にも、実質的な上限破りを仕込むような動きが政権内に起きている。
PT政権時代の眼玉プランが復活?
その最たるものが、「Plano Pró-Brasil」(PPB)と「Renda Brasil」(RB)の両計画だ。特に前者はモロ前法相の件で公開された4月22日の閣議で、主要な議題の一つだった。
マスコミ的には、判りやすいイデオロギー的なパラブロン(暴言)ばかりが話題になっていたが、ゲデス経済相はあの会議で、PPB立案者のロジェリオ・マリーニョ地域開発相(PSDB)を名指しで批判し、「PT政権時代の公的資金を大量投資してインフラ開発するような発想は、もう古い。パンデミック後の経済復興は民間投資によって行うべき。税制改革や行政改革、そして特に経済再開による観光分野への投資なくして復興はない」と厳しく指弾していた。
地域開発省は昨年1月の政権発足時に、国土統合省と市民省を合併して作った巨大省庁だ。このPPBコーディネーターはブラガ・ネット官房長官(現役陸軍将官)で、当然軍人派閥からこの計画は支持を受けている。
たしかにPPBは、PT政権の目玉事業だったPAC(経済活性化計画)に似たもので、しかもジウマ大統領が罷免されたことで、中断されたままになった多数のPAC工事を再開することも計画に入っている。当然、大工事が続々と開始されれば雇用も生まれ、GDPを一気に押し上げることは間違いない。
PPBは今後10年間で160件の入札や民営化を行うことで、合計1兆レアルの投資を呼び込むとの概要が漏れ聞こえている。
パンデミックで壊滅的な被害を受けたブラジル経済を復興させるための目玉プランとして、9~10月ぐらいに正式発表される予定。14日付ポデール360サイトには、ネット官房長官は大統領にはPPB計画書を渡したと報道されている。
ネット官房長官は同閣議で「これはブラジル版マーシャルプランだ」と説明している。マーシャルプランは第2次大戦で甚大な被害を受けた欧州を復興させるために、米国が推進した援助計画だ。
PPBは官民合同投資を基本とするが、計画を先導するための膨大な公的資金の注入は避けられないと見られており、そのためには歳出上限法を来年も一時的に停止させるか、もしくは完全に廃止させるかという議論が内部で行われているという。
PPBが本格始動するのは来年だが、今年中に50億レアル程度の準備資金を必要としており、連邦議会の承認が必要になる。
大雨でもタイヤを履き替えないF1パイロット
そのため、民間資本中心の復興にこだわるゲデス経済相と、大型公的資金注入を主張するPPB賛成派が現在、水面下で熾烈な駆け引きを行っている。今のところ、両派はまったく折り合いをつける気配がない。その激しい火花の一端が、ゲデス氏による「歳出上限を破れば、大統領罷免に一直線だ」などの過激な発言として出てきている。
先週11日に経済省の主要スタッフ2人が辞任した際も、ゲデス路線の改革がまったく進んでいないことを非難する声明を出していた背景にも、この件がある。一人は民営化局長、もう一人は手続簡素化・デジタル化局長。民営化もダメ、行政改革もダメという新自由主義原理主義者には、あまりにも悲しい現実が明らかになった。だから右腕二人が離脱したことをゲデス氏は「脱走だ」と逆切れ発言した。
二人の離脱は、ゲデス氏が政府内での駆け引きに負けている状況を悲観してのことだと見られており、省内での発言力がさらに弱体化する悪循環に陥っている。昨年1月の政権発足来、今が一番弱っている感じだ。
だから2人が辞任した日のサンパウロ株式市場は下落し、レアルも下がった。マーケットでは「次はゲデス本人か」という先読みまで始まっている。
12日朝のCBNラジオで、評論家のベルナルド・メロ・フランコ氏は、今のゲデス経済相を、急に大雨が降った時のF1パイロットに喩えた。《F1レースの終盤に大雨が突然降ったら、パイロットはピットに寄って雨用タイヤに履き替えるか、ピットに立ち寄って時間のロスをしないで最後まで晴れ用タイヤで走り抜くかの選択に迫られる。コロナ禍という聖書のノアの箱舟級の大雨が降ったにも関わらず、ゲデスは晴れ用タイヤのままで走り抜けようとしているようなものだ。周りは雨用に履き替えようと懸命だ。パンデミック後の経済政策は最悪の状況に合わせなければ、という議論が出てくるのは当然。緊縮財政や民営化を旗印にして、新自由主義経済の原理主義者と化した今のゲデスは、経済ポリシーにこだわり過ぎて現実から浮き上がってしまった》と酷評した。
「Renda Brasil」(RB)に関しても、実施することは政府内でほぼ固まってきたとの話がマスコミから漏れてきている。というのも、14日報道によれば、ダッタフォーリャの最新の世論調査が発表され、ボルソナロ政権への支持率が24%から上がり、不支持率が46%から34%に下がったからだ。
政権内では、支持率が上がった主因は緊急支援金600レアル給付だと分析している。たとえ金額が下がっても、これを今年いっぱい続け、その後にRBに継続させることで、政権支持率を維持したいという思惑が強くなってきている。
だからRBのための資金源を確保する必要があり、歳出上限法の枠外に置くような抜け道を考案するか、コロナ禍を理由になし崩しにして、邪魔な上限法そのものを廃止するかという議論になってきている。
セントロンは「古い政治交渉はしない」と明言
基礎教育開発基金(Fundeb)の憲法改正案(PEC)審議で7月21日、政府は圧倒的な敗北を喫した。その直後、大統領は政府リーダー(日本の国会対策委員長)をPSLからセントロンに挿げ替えた。
大統領にとっては次々に自分に向けられる罷免申請の刃を逸らすためにも、議会内の最大派閥セントロンとの接近は避けられないものだった。
そのセントロンの中心人物、リカルド・バーロス下議(PP=進歩党、60歳)が14日、政府リーダーとしてCBNラジオ(https://cbn.globoradio.globo.com/media/audio/311854/o-centrao-adere-ao-governo-para-dar-governabilidad.htm)に久々に登場したのを聞きながら、大きな潮目だと実感した。
彼は、パラナ州マリンガ市長のあと下議になり、FHC政権の政府リーダー、ルーラ政権の政府副リーダー、テメル政権の保健相を務めてきた、強者中の強者だ。その経歴が示すように思想的右左は関係ない。常に政権に寄り添って、その中枢にいる印象だ。
その彼が12日にボルソナロ大統領から、下院議会の政府リーダーに指名された。今後、政権の中心にセントロンが復活することになる。
ラジオアナウンサーから「ボルソナロが今までセントロンを厳しく批判して来たことを、全て呑み込むということか?」と尋ねられたバーロス下議は、こう答えた。
「彼が批判してきたのは『古い政治手法』であり、いま彼なりの政治手法をやっている。それを我々は理解している。我々も『古い政治手法』はもうやらない。ボルソナロは大臣職をセントロンに渡していない。だからトマ・ラ・ダ・カー(それをやるから、これはもらう)にはなっていない」と否定した。
つまり、今までの政権がやってきたのは、大臣の椅子を連立政党の党首に配分することで、その党に省内の支配をゆるすことだ。その分野の許認可や権益の全てを、その政党の影響下に置くことによって、さまざまな政治的な力を発揮できる。
たしかにボルソナロ政権は、選挙時から党派を超えた協力議員、軍派閥、農牧畜系議員グループ、エバンジェリコ(福音派)議員グループ、銃規制緩和推進系議員グループなどに大臣職を配分し、従来のように連立政党に権力を配分するやり方をしてこなかった。今までとは違う枠組みで議会運営を行おうとしてきた。だが、破綻した。
その枠組みはそのまま。大臣職自体は依然としてそれらグループ代表が占めているが、そのすぐ下の役職、たとえば次官級、幹部官僚級にセントロン系の人物がどんどん入るようになった。以前のように省丸ごとを支配させるのでなく、隠然と支配させるというやり方に変わって来た。
それをもって「古い政治手法ではない」という言い訳にしている。だが、この便法も含めて、旧態依然とした政治手法が復活した感が強い。
「闇の仕掛人」集団が再登場
ラジオアナウンサーから続けて、「ボルソナロと息子は、常にセントロンを批判してきたのに、どうして組むのか?」と質問され、バーロス下議は「セントロンはどの大統領に対しても、政権運営力を提供してきた。セントロンは大統領候補を出さない政党集団だ。我々は、多党連立型大統領制(連立政権)を擁護する政治家の集まりだ。ボルソナロ大統領は自分の味方として連邦議会内の10%を前回選挙で当選させたが、安定した政権運営ができる過半数を制するには、連立する必要がある。政府の政策を実行するための法案を議会で承認させるには、セントロンの存在が不可欠だ。セントロンは大統領選で争うことは絶対にせず、選ばれた大統領に対して政権運営力を提供する。それによって我々を選んでくれた有権者の要望に応える。それがセントロンの政治哲学だ」
セントロンには大統領を出す力は十分にある。だが、自分が表に出て矢面に立ちたくないから、常に「右」や「左」の大統領の後ろに寄り添い、影から人形を操るような政治手法を伝統的にとって来た。いろいろな政党の中道派議員の集まりであり、緩やかな縛りの中で実権を握ってきた。
政治的な現実主義者の集団がセントロンだ。傀儡師のようにあらゆる政権の舞台裏を仕切る存在だ。その結果、賄賂や汚職の温床になりがちな人たちとして、ボルソナロは本来、「セントロンこそが政治的な旧悪の象徴」として選挙戦では叩いてきた。
ボルソナロの右はただの旗印となり、今後、政権の実態はセントロンに握られるかもしれない。それぐらい党派や思想を超えた強かな政治家グループだ。
それが今回、満を持して完全復活した。ボルソナロのような政治交渉嫌いの一匹オオカミが立ち向かえる相手ではない。今後、手練れの中の手練れに、ボルソナロはいいように操られるかも。特に軍人派閥とセントロンが結託したPPBプランには、ゲデス経済相と言えど歯向かえない可能性が高い。
おそらく大統領の頭の中は今、22年選挙のことで一杯だろう。今後は大衆迎合的な政策を次々に打ち出し、支持率は上がるという流れかもしれない。(深)