「結局、あのときのデモ行進やジウマ罷免はなんだったんだ」。このところ、そう思わされる報道が相次いでいる。
2013年6月から連日起こった労働者党(PT)政権に対するマニフェスタソン、そのときの抗議者が数多く味方についた14年からのラヴァ・ジャット(LJ)作戦に、16年のジウマ大統領罷免、そして18年の大統領選。「汚職にまみれたこの国を生まれ変わらせる」。改革支持者たちはそう言っていたものだった。
だが今になって、やれ「LJ班には米国のFBIが背後についていた」だの、LJの捜査内容が検察庁から疑問視されるなどの報道が相次いでいる。
さらには、元財相アントニオ・パロッシ氏の報奨付証言は根拠が薄いとの報告が、最近、連邦警察から行われた。18年大統領選挙時に、当時のセルジオ・モロ判事が一次投票の6日前に公開を了承し、PTに大打撃を与えたあれだ。
さらにエジソン・ファキン最高裁判事が「18年大統領選にルーラ氏を出馬させておいた方が遥かに民主的だった」と語ったことも報じられている。
そうした国民の改革路線の期待を受けていたはずのボルソナロ政権から、セルジオ・モロ法相が辞任し、一家はラシャジーニャ疑惑スキャンダルにまみれている。そうした汚職だけではなく、国の予算に関しても、13年のデモの際に国民が叫んで求めた教育費よりも、今では軍事費に予算が割かれるようになっている。
「あの頃、PTの下野を叫び、ラヴァ・ジャットの支持を願った人は今の政治をどう思っているのだろう」。コラム子はそう思わずにいられない。ここまでのことが展開して、「失望しない」ということは正直考えにくい。
にもかかわらず、ボルソナロ政権の支持率は30%台で安定している。むしろ、手を切ったモロ氏の代名詞であったLJのイメージが下がっているので、ボルソナロ氏には有利に見える。それは、やっつけてほしいと期待されていたはずの”汚職の温床”セントロンと、ボルソナロ氏が接近中でのことだから、なおさら皮肉だ。
ここでコラム子は2つの仮説を思いつく。ひとつは「結局、世直しとかはどうでもよく、福音派や右派が権力を握れるチャンスさえあればなんでも良かったのではないか」ということ。もし、こういう人が、あのときの改革論者の大半なのだとしたら、LJやモロ氏は利用されたようで気の毒だ。
もうひとつ考えられるのは「革命気分が裏切られるのを信じたくない」という頑なな思いだ。彼らは、民衆のマニフェスタソンから3年がかりで政権を打倒し、自分たちの力で既存勢力でない大統領を誕生させた。その気持ちに水を差されたくなく、都合の悪いことを信じたくないのではないか。
こっちのタイプの方が案外多いような気がする。だが、もし彼らがそれを「プライド」だとか「正義」などと思うのであれば、もっと現実に目覚めて、違う方向に発展させた方が建設的だと思うのだが。(陽)