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中島宏著『クリスト・レイ』第37話

「そのポルトガルの日本での勢力が弱くなったことと、キリスト教への弾圧が始まっていったこととは、どこでどう結びついているのですか。簡単に考えると、そこにはあまり直接的な関係はないようにも見えるけど」
「西洋の文明を初めて日本に運んできたのはポルトガルだったけど、最初は独占するようにして日本との商取引を進め、巨大な利益を上げたわけね。それを見ていた他の国々が同じように日本にやって来て、徳川幕府と友好関係を結んで、この魅力ある市場に参入しようとしたの。
 この時、スペインはともかく、オランダやイギリスは、ポルトガルとは違って、同じキリスト教でもカトリックではなく新教であるプロテスタントだったから、この方面でもいろいろ、両者の間で摩擦が起きていったわけ。このときにはすでに日本の中でも結構、広い範囲にキリスト教、この場合はカトリックが広がっていたから、それを徳川幕府はとても危険な傾向として捉えたのね。
 このまま放って置くと、日本中にキリスト教が広がっていき、そのうちに収拾がつかなくなって、幕府の執政が脅かされ、やがてそれは恐れていた植民地化に繋がって行くというふうに考えるのも、当然のことだったのでしょう。
 そこから、キリスト教、特にカトリックへの弾圧が始まっていったということね。徳川幕府以前の時代には、まだポルトガルの影響が強かったし、貿易の面でもかなり、日本にとっても有利な面が沢山あったから、ある程度そういう危険は感じていても、あからさまな態度は取れなかったという事情があったのね。つまり、西洋の文明を受け入れることと、キリスト教を容認するという二つのことは、お互いが連携するような感じで繋がっていたわけなの。
 ところが、その後、オランダやイギリスなどの国が到来するに及んで、何もポルトガルだけが、ヨーロッパではないということに気が付いたというわけ。そこにはもちろん、これらの国々の巧妙な政治的工作が働いたことは事実だけど、実際に、この頃になって当時のポルトガルのそれほどでもない実力が、徳川幕府には見えて来たということもあったということでしょうね。
 そこで、それまでのポルトガルに頼っていた状況が一変して、その反動のようにして、今度はポルトガルを日本から締め出すという方針に切り替えていったということね。このとき以降、ポルトガル人たちの大半が日本から追放されていったの。もちろん、その中にはキリスト教に関する人々、特に宣教師たちも混じっていたわ。それらの人々はすべて国外追放という形で、日本を離れなければならなくなったの。
 当時の幕府は、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれていることなど知らなかったし、理解しようともしなかったから、とにかくキリスト教はすべて追放するという結果になったわけね。そして、その当時の日本でのキリスト教といえば、まずすべてがイエズス会から始まったカトリックだったから、それらが全部禁止ということになったの。
 徳川幕府が慌てたのは、このときにはすでに、キリスト教が想像以上に浸透していて、一般の人々だけでなく、地方の城主たちにも及んでいたということね。その根は意外と深い所にまで達していたということだけど、その根を絶やさないことには、幕府はもちろん、日本の国自体が、この西洋から侵入してきた宗教によって占領されてしまうというふうに考えられたわけね。だから、これに対する弾圧や迫害は、ちょっと考えられないほど厳しいものになったわ」