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■訃報■マリンガーのカメラ業界草分け=植田憲司氏

植田憲司氏

 パラナ州マリンガー市で初のカメラマン、文化体育協会会長も担った植田憲司氏が11日(金)に、新型コロナによる合併症により亡くなった。享年93。その一週間前には、70年間寄り添った妻の芳子さん(91)さんも同合併症で亡くなっていた。
 植田氏は福島県出身、1933年サントス丸でブラジル移住。当地では最初、農業に従事していたが、後にマリンガー市で初の写真館経営をはじめ、写真家として多くの貴重な記録写真を残している。
 1982年にマリンガー文化体育協会会長、評議員、顧問、名誉顧問なども歴任。99年に日本政府から勲5等、2000年には同市名誉市民章を受けた。パウリスタ新聞、サンパウロ新聞の代理人役も担った。

 03年にパラナ州政150年を記念して同市内で開拓者表彰が行われた際にも300人の一人として表彰を受けた。娘の明美さんはABRAC(ブラジル歌謡協会)会長、西森ルイス連邦下議夫人。
 マリンガー市のウリセス・マイア市長は12日に植田氏の死を悼み、市で公式追悼を行う法令に署名した。3日間、植田氏への追悼の意として市旗が掲げられる。