9月28日朝、全国環境審議会が海岸沿いのマングローブなどの開発を認めようとしているとの記事を読んだ。その時は「まさか」と思ったが、同日午後、本当に原生林保護のための規制を解除したと聞き、愕然とした。
翌日のメディアは「目的は海岸部などの開発やリゾート化」と報じており、現政権が求める豊かさとは何かを改めて考えさせられた。
ボルソナロ大統領は当選直後、食糧確保のためのアマゾン開発や先住民保護区での金採掘などを容認する発言を行い、国際的な物議を醸した。今回の環境審議会の決定は軌道を一にしている。
しかも、昨年の同審議会の構成員変更で過半数を連邦政府関係者としたのが今回の決定の伏線なのだからたまらない。議長の環境相が大統領の手足となり、環境破壊の推進役となったのだ。
現政権にとり、アマゾンや海岸部の原生林は保護対象ではなく、開発対象だ。農作物やリゾート用地を売って収益を上げる事が国を豊かにすると考えているとしか思われない出来事に、嘆息している人も多いだろう。
水源地などを保護区とする開発規制は、長期的な目で豊かさを保つ方法の一つだ。その事は、原生林を伐採して造った牧場で再植林を行ったら涸れていた泉に水が湧き始めたとか、再植林で山に緑が戻ったら、海での養殖にも好結果が出たといった例でも明らかだ。
開発は短期的な富をもたらすが、豊かな自然を失ったリゾート地は魅力が半減。水の供給や土地保全にも支障が出て、回復不能な損失も生じる。
それは、「既に目の前にあるものの豊かさに気づいていない」証拠でもある。「失って初めてその価値が分かる」という諺がある。その価値が予め分かっている者には、あまりに悲しい現実だ。
開発で短期の富を得ても、保護や保存で得られる長期的な豊かさを失えば本末転倒だし、真綿で首を絞める行為に他ならない。 (み)