神父さんたちの場合は当然、日本語が直接キリスト教という宗教の問題に結びついているけど、そういうことを抜きにしても結局、日本語を勉強するということは、異国に移民して来た人たちから次の世代へ繋いで行くための一つの手段なのではないかと考えるの。
そういう意味から言ってもね、日本語はいずれ将来は消えて行くものとして考えたとき、日本語の勉強もやはり、手段ではあっても最終的な目的ではないということになるわけね。まあ、この考えが正しいのか間違っているのかは分からないけど、私は今のところそんなふうに考えているわ」
マルコスとアヤの会話は、いつまでも続いていく。
それはあたかも、果てしのない道をどこまでも歩いていくというような印象を持ち、二人にとって話題が次から次へと現れて来て、まるで終点がないという感じのものであった。特にマルコスにとっては、初めて聞くような話ばかりであったことが、かなりの刺激となり、ますますこの隠れキリシタンの世界に惹かれて行くことになっていった。
第二章 異郷
マルコス・ラザリーニにとって、日本語は単なる勉強の対象以上の存在になっていった。日本語に対する探究心とか、さらにもっと上を目指そうという意欲が、彼の中ではますます強くなっていくという傾向を見せた。同時にそのことは、あのクリスト・レイ教会の物語に対する興味が膨らんでいくことにもなり、なにやらそれは、まるで磁石にでも引きつけられるようにして、そこに没頭していくというような形を持つことになった。
日本語を覚えるという、ただそれだけの動機から始まったものが、今になってみると、かなり違った方向に進んでいるというような感じでもあった。もちろん、日本語自体は、アヤも言うように、予想以上の進展ぶりを見せて思いがけないほどの上達をしたが、面白いことに、その日本語のレベルが上がっていくにつれて、この日本人たちの集団が持つ宗教という問題についての興味も大きくなっていった。
それは、日本語を覚える以前には、まったく考えられないことであったし、想像すらできないことであった。そのことに、マルコス自身はいささか驚いている。
はっきり言って、日本から移民して来た人々が、仏教ではなくて、キリスト教を信仰していたとしても、ブラジル人であるマルコスにとっては何の関係もないことであった。言ってみれば、彼にとってはどうでもいいことである。少なくとも、このプロミッソン近郊のゴンザーガ区の日本人たちを知るまでの彼にとって、その考え方は至極当然であったともいえる。
ところが、一旦こういう世界を知ってしまった後では、マルコスの頭の中での日本移民の人々に対する風景が、一度に様変わりしてしまった。それまでは何の具体的な像もなく、いわば白紙の状態であったものが、一挙に身近な風景として動き出したというような感じであった。それは、未知の世界へ突然、飛び込んだ雰囲気にも似て、ひどく新鮮で、かつ不思議な風景でもあった。
そして、その風景の中心には常に、アヤの存在があった。