1980年代から長い間移民文学に携わってこられた安良田済さん(あらたすむ)が亡くなられた。享年104歳ということであった。早くから視力・聴力が衰えて不自由をかこちながらも、晩年はコロニア文学界における幾つもの重要な仕事をされた。
100歳を記念して出版された『日系移民第1号史』が最後のものとなったが、その頃は視力・聴力はほとんどゼロに近い状態であった。何よりも健康に恵まれていたことが百歳まで執筆意欲を持ち続けた要因であったと思う。
安良田さんは、1983年1月に逝去したコロニア文学界の重鎮武本由夫氏の後継者として、文芸誌「コロニア詩文学」の代表を務めたが、武本氏亡きすぐ後「武本文芸賞」を設立して広くコロニア文芸界を牽引した。
有史以来最大の盛り上がりを見せた「コロニア文学」(後に「コロニア詩文学」と改名して再出発)を背負って奮闘された武本氏の意思を継いで、新時代のリーダーとして移民文学の灯を鼓舞し続けたが、新しい世紀を迎える頃には次期後継者へと潔くバトンタッチされた。
思えば安良田さん60歳代終わりから80歳代にかけての、人間として最も脂の乗り切った時期に移民文学興隆に挺身されたのであった。
その後氏は、ピニェイロス広場の教会前にあった店舗を処分し、自宅に引きこもってそれまでに蒐集した資料の整理をしたり、新聞に投稿したりして余生を楽しみながら、後に実現させた数々の出版物のための下準備をしておられたものと思われる。
氏はまた、「パウリスタ文学賞」(パウリスタ新聞社主催)が終焉を迎えるまでの数年間、選者の一人として活躍されたが、独自の論理的な批評は多くの作者の執筆意欲を促がしたものである。
本来は短歌畑出身であったが、同じ短歌畑出身の故武本氏の肝いりもあって小説等の散文に深く関係するようになり、特に氏の書く評論の緻密性は他の追従を許さない厳しいものがあった。
当時の移民文学界においては珍しく深い見識の持ち主で、大袈裟に言えば、以降彼を以ってして移民文学を論理的に語れる人物を私たちは知ることはない。そういう意味で一つの時代を画した文学者であったと言っても過言ではない。
ところで、私が氏との親交を頂くようになったのは、氏が「コロニア詩文学」を引き継がれた時点であったからずいぶんと長い。途中聖市から田舎へ転居してからは、親交も薄らいだものになったが、文学上のつながりは途絶えることはなく、氏が最後に刊行された『日系移民第1号史』を、氏のたっての希望でお手伝いさせてもらったのが最後になった。
その後、施設暮らしをされていたと聞いていたが、一世紀以上も長い人生を文字通り「謹厳実直」に貫かれ、充実しきった生涯を送られたことはほんとうに素晴らしいことであった。
私は今、氏の死を悼む以上に、
「素晴らしい人生を全うされてほんとうにおめでとう。どうぞ安らかに奥様のもとにお召し下さい」と心から申し上げたい気持で一杯である。