若い結婚と遠距離夫婦生活
「ブラジルに来てから一度も帰国していません。妻や娘とは7年間離れて暮らしています」と話すガネッシュさん(連載第2回参照)。ネパールで19歳の時に4歳年下の妻と結婚し、長男と長女が誕生。以後、アジア各国で働き、夫婦で離れて暮らす年月は少なくなかった。
妻子はガネッシュさんの両親と暮らし、生活に困ったことや寂しさに耐えられないという状況に陥ったことはないという。今年1月に長男(24歳)はブラジルに来て一緒に生活することになった。
ネパールでは恋愛関係となった男女は結婚するという意識が高く、若者は早婚になるケースも多い。
しかし、産業の乏しいネパールでは、やる気のある若者は外貨を稼ぐために国外を目指す。若い既婚男性で幼い子どものいる場合、妻子はネパールで暮らし、数年間離れて暮らすケースも珍しくない。
「今は一緒に暮らせて幸せです」と初々しい笑顔を見せるのはリタ・クマリ・ゴレさん(37歳)。ブラジルで夫がビザを取得できるのを待ち、子どもたちも小さかったことから、5年間夫婦でネパールとブラジルに離れて暮らしていた。
リタさんはネパールのジャナクプール出身で、同郷の夫ガネッシュ・ラムさん(41歳)とは16歳の時に結婚し、現在、18歳、14歳、8歳の息子がいる。ブラジルで暮らし続けるラムさんを追って、2018年に長男と2人でブラジルに渡った。
ネパールではラムさんの親兄弟と一緒に暮らし、幼稚園児にネパール語を教える教師をしていた。次男、三男は今もネパールにいる。
長男はサンパウロに来て3カ月間ポルトガル語の特別授業を受け、リベルダーデ地区の私立大学に入学し、土木工学を勉強することになった。
「長男はそれほどブラジルに興味はありませんでしたが、両親の側で勉強した方が良いと思い、ここで学校に通わせることにしました」と話すラムさん。
今年一月には一旦休学してネパールに戻り、1、2年後に再びブラジルに戻る予定でいる。ネパールとブラジルの時差は9時間。ブラジルで仕事を終えて一息つく頃がネパールでは起床時間で、毎日親子でビデオ通話するのが日課となっている。
世界中、仕事や人生に大差ない
現在、ラムさんは2018年にオープンしたインドとネパールの衣料品販売店『ジャヤ・ガネッシュ』(Av. Brigadeiro Luiz Antonio, 2173-Box 59)を経営している。
2014年に観光ビザでブラジルに入国し、期限が切れる時期に合わせてサンパウロの連邦警察で永住ビザを申請し、プロトコロを得て労働手帳を取得。すぐにブラス地区のインドの衣料品卸会社で働き始めた。
4年後には正式なRNE(外国人登録証)が発行され、リタさんも新移民法に基づいて書類を作成し、2019年にRNMを取得した。手続きには公選弁護人が無料でサポートしてくれた。
「色々な国を調べ、ブラジルは落ち着いて仕事ができる場所だと思いました」と言うラムさん。最初の会社で2年働いた後は、パウリスタ大通りのギャラリーボックスで自分の店を営業しながらサンパウロ市内各地のフェイラで衣料品を売り歩いた。
当時は、旅行カバンいっぱいに商品を詰め込み、ウーバーでフェイラまで向かった。これまで仕事の最中に2回、カバンごと商品を盗まれ、携帯電話は5回盗まれたと話す。
「ブラス地区ではよくある話なので」とトラブルもさらりと受け流す。
ブラジルに来る前にはクウェートで2年間ファーストフード店バーガーキングで働き、帰国後はチーズやヨーグルトなど、乳製品を製造販売する個人事業主として働いていた。
「世界中どこにいても仕事や人生に大差はないです」と、最初こそポルトガル語の壁にぶつかったが、他のネパール出身の人々同様、ブラジル生活に特に悩みや不満を感じたことはない。
パンデミックにより営業再開後も売り上げは15%ほど落ちたが、商売は浮き沈みがあるものと心得、慌てることはない。サンパウロの生活はとても気に入っており、ブラジルに住み続けながらネパールへは家族や友人を訪問できる生活スタイルを築きたいと思っている。今は子どもが立派に育つことが一番の夢だ。(続き)