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■訃報■元サンパウロ新聞デスク 田中敬吾(たなか けいご)さん

田中敬吾さん

田中敬吾さん

 元サンパウロ新聞社会部次長(デスク)の田中敬吾さんが10日夜11時半、入院先のサンタクルス病院で急性腎不全のために亡くなった。行年89歳。通夜と葬儀は11日に親族だけで執り行った。四十九日法要は11月28日(土)10時から別院日伯寺(Av.
Paula Ferreira, 1133 – Piqueri – São Paulo)で行われる予定。
 田中さんは東京都新宿区に1931年1月28日に生まれた。13歳のとき母の実家のある静岡県焼津市に転居。静岡県警に勤め、20歳で法務省試験を受けて看守になり、巣鴨刑務所でも勤務、東京医療少年院で法務教官も務めた。
 その間、東京写真専門学校の夜間部でカメラも学び、1964年、33歳のときにボイスベン号で渡伯。66年3月にパウリスタ新聞にカメラマンとして入社。
 1967年6月、皇太子殿下(現上皇陛下)ご来伯時、滞在中のブラジリアのホテルを朝早く抜け出され、アマゾン河上流を予定外の電撃訪問された。その際、記者と一緒に後をつけて撮影。その一枚はUPIを通して世界に配信された。
 80年12月にパ紙を退社して翌年3月にサンパウロ新聞へ移り、社会部記者になり、のちに社会部次長に。その後、定年退社していた。