日本のイメージは働く場所
「リベルダーデ地区に日系コミュニティーがあることも知っていました。でも、まだ私はブラジルで日本人や日系コミュニティーと接触したことはありません」と、南国フィリピンのイメージ通りの陽気さで、満面の笑みを浮かべて話すのはジェニファー・ガブアットさん(35歳)。
フィリピンの南コタバト州コロナダルに生まれ、北コタバト州ピキットで育った。フィリピンでは同居する祖父母が生活の面倒を見てくれ、特に問題なく暮らせていた。仕事面では、女性警官として働きたかったが、身長が足りなかったため断念せざるをえなかった。
ジェニファーさんは2014年10月、フィリピンの家族へ仕送りするのが目的でブラジルに来た。2013年には1年間、シンガポールでお手伝いさんとして働いたが、その家の子供に背後から何度もスプーンを投げつけられ、仕事にもシンガポールにも見切りをつけた。
現在も母親はシンガポールのOFW(Overseas Filipino Worker=海外フィリピン人労働者コミュニティー(https://singaporeofw.com/))で働いている。一人の兄は船員として世界を回っており、他の家族は皆フィリピンで生活している。
ブラジルには観光ビザで入国し、2015年5月に代理店を通じて就労ビザを取得。最初の2カ月はサンベルナルド市で過ごし、その後ビラ・マチルデへ、現在はフィリピン人の友人とリベルダーデ地区でアパートをシェアして生活する。
「サンパウロは気に入っていますが、ひったくりとホームレスが多いですね。来たばかりの頃はリベルダーデ地区の事情も分からず、フィリピン人の友人がサンジョアキン街でひったくりに遭ったこともあります」。」
ブラジルで労働者となるメリットを感じているため、移民として暮らすことを考えている。懐かしさから2018年には久しぶりにフィリピンに帰国し、貯金ができたらフィリピンで自分のビジネスを始めたいという新たな夢も芽生えた。
パンデミックになるまでの5年間は、ババ(乳母)として働いていたが、現在は失業中。フィリピン人コミュニティーを通じて知り合った難民と移民を支援するNGOでボランティアを行っている。仕事帰りには付き合って5年になるフィリピン人の彼女メイフロール・ポラスさんが迎えに来て、2人の姿はとても仲睦ましい。
ジェニファーさんは自宅ではいつも魚の干物やエスカベッシュといったフィリピン料理を作って食べる。ブラジル料理に違和感を持ったこともなく、シュラスコやフェイジョアーダも好物になった。友人たちと外食するのも好きで、日本食店やタイ料理店、韓国料理店などアジア料理のレストランもひいきにしている。
「今後チャンスがあれば日本も旅行で訪ねたいです。でも、どちらかと言えば日本は働きに行くための国というイメージがありますね」
サンパウロのフィリピン人コミュニティー
サンパウロにあるフィリピン人コミュニティーには、毎月第3日曜日にリベルダーデ地区のミッソン・ダ・パス教会に集まるグループとNGOの「Aliança Cultural Brasil Filipinas」がある。いずれもボランティアによって運営されており、イベントがある場合は皆で協力し合う。
ミッソン・ダ・パス教会でのコミュニティーの管理者チャンダ・アモラールさんによると、サンパウロには最低でも150人のフィリピン人が暮らすと推定され、記念日やフィリピンの独立を祝うような大きなイベントの時には約120人のフィリピン人が参加するという。メンバーの90%は女性で占められている。
「他者の人生の中から学ぶことがあります」「自分にできる事をチームのために生かしたい」と、使命感や結束力を感じさせるフィリピン人コミュニティー。南米まで渡ってきたたくましく温かい女性たちの活躍が輝きを放つ。(つづく)