【既報関連】11月1日午前8時から、サンパウロ州リンス市のブラジル本門佛立宗大宣寺(高崎日現ブラジル教区長)と京都の本門佛立宗本山・宥清寺(髙須日良上人)をオンラインで繋ぎ、「茨木日水上人(茨木現樹師)50回忌法要」が3時間にわたって厳粛に勤修された。この法要は当初、日本全国から僧侶と信者80人を招き、国内参加者を含む約1200人で盛大に開催する予定だったが、新型コロナウイルスの影響により動画投稿アプリユーチューブ上での日伯同時オンライン法要となった。
当日はコロナ感染対策としてマスクを着用し、アルコール消毒、人間距離(ソーシャルディスタンス)を遵守して執り行われた。大宣寺では密集を避けるため、信者はブラジルの各寺からの3人までに制限を設けた。その上で、本堂には各寺1人ずつ入場する制限を設けた。
茨木日水上人は1908年6月18日、当時22歳の時、僧侶として第1回移民船・笠戸丸でサントス港に上陸した。同上人は大宣寺を含む7カ寺を国内に建立し、布教活動に躍進した。
野村アウレリオ市議会議員が、同上人がサントス港に下船した6月18日を「ブラジル仏教初祖の日」(Dia do Padroeiro do Budismo no Brasil)に制定するようサンパウロ市議会に求め、7月に認められた。
この際、サンパウロ州立移民史料館でサントス上陸時の下船者名簿を参照した際、茨木上人の職業欄に「僧侶」と記されていたことが見つかり、ブラジルへの仏教伝来の決定的な証拠となって承認された。
京都本山の高須上人は「日水上人がサンパウロ市議会から『ブラジル仏教初祖』が認められたのは大変有り難い。日水上人がブラジルに仏教を伝えたことを、仏様、日蓮聖人、日隆聖人、日扇聖人がどれほど喜ばれておられるかは想像することが難しい」と述べ、「『ブラジル仏教初祖の日』が認められたのは、日水上人がご遷化(せんげ、高僧の死亡)した後も、お題目の種まきを多くの信者が支えたからである」との胸中を語った。
高崎ブラジル教区長は「現在、世界は大変な状況にあるが、三祖聖人や茨木日水上人はそれ以上の苦難を乗越えました」と語り、「このコロナ禍にも関わらず、オンライン上でブラジル全信徒と共に本山を参詣できるとは全く想像し得なかった」と喜びと感謝の気持ちを述べた。
ブラジル本門佛立宗(HBS)の東原エジソン理事長は「6月18日『移民の日』に『ブラジル仏教初祖の日』と制定され、私達の茨木日水上人が弘法の為のご苦労が公に認められたことに心から御礼を申し上げます」と謝辞を述べた。
オンライン法要を終えた後、この50回忌に合わせて敷地内に建てられた屋根付き運動場の除幕式と、2008年に開始された大宣寺の改修工事無事終了のお礼言上があげられた。
高崎日現教区長は、「ブラジル仏教伝来100周年の2008年から始まった大宣寺改修工事を、茨木日水上人50回忌までになんとか間に合うことができました。これは多くの方々の助けがなければなし得なかったことだと感じております。本当に感謝いたします」と深謝した。
来席したリンス市長のマツウラ・アキオ氏は「この大宣寺は、茨木日水上人が設立してから、長年リンスを見守ってきて市には必要不可欠な存在です。今回の『ブラジル仏教初祖の日』の制定を称えましょう」と語った。
茨木日水上人50回忌法要は、以下にて視聴可能。(https://www.youtube.com/watch?v=SW_KniGwTq0)
佛立第26世講有高須日良上人からのメッセージ
ありがとうございます。
私は、本門佛立宗第二十六世講有、髙須日良でございます。
今日、茨木日水上人・御五十回忌の日、本当はブラジルを訪れて、皆さんと共に参詣をさせていただくはずでした。
その為にブラジル教区のみなさんは長年準備を進めてこられました。
しかし現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、ブラジル入国が困難となり、非常に残念であり、心を痛めています。
しかし、ブラジルの教講は、「ウイルス感染のせいだからしようがない」ではなく、
「感染の中だからこそ、できることをさせていただこう」と、
前向きな姿勢を見せてくださり、このたびの法要をやめにするのではなく、ブラジルと日本をインターネットでつないで、お勤めしたいと申し出てくれました。
そのおかげで今日、私はみなさまと一緒に御題目を唱えさせていただくことができました。
そしてまた有り難いことに、御五十回忌の年に、日水上人はサンパウロ市から、「ブラジル仏教初祖」の称号をめでたく認められました。
これによって、そのお徳が大きく知られることとなり、
皆さんの信心増進とさらなるご弘通の糧となることは間違いありません。
そこで本日は、ご法門の前に皆さんに、そもそも仏教とは何か、
御題目とは何か、それがどのようにブラジルに伝わったのか、
というお話をさせていただければと思います。
仏教とは、文字通り仏の教えです。
仏様はおよそ三千年前、インドとネパールの国境付近で、
シャカ族の王子さまとしてご誕生になりました。
ゴータマ・シッダールタというお名前でした。
裕福で満ち足りた生活を送りながら、民衆の生老病死の苦しみを目の当たりにしました。
十九歳でお城を出て出家し、さまざまな修行をなさいました。
人はなぜ苦しむのだろう。どうすれば苦しみはなくなるのだろう。
シッダールタは三十歳の時、それを突き止め、悟りを開き、仏となられたのです。
仏様はそれから五十年の間、人々に教えを説き続けました。
そしてご入滅される直前に説かれた教えが、妙法蓮華経です。
そこで仏様は、はるか二千年後の未来には末法という時代がやってくることを予言されたのです。
そのときのために、仏のお悟りのすべてを込めた御題目を、上行菩薩に託し、二千年後の未来に伝えることを指示されました。
仏様がご入滅された後、その教えはインドから中国、日本に伝わります。
そして、時代は末法に突入しました。
そこで13世紀にご出現されたのが日蓮聖人です。
末法の時代のすべての人々の苦しみを救うために、日蓮聖人は仏様の御悟りのすべてが込められた御題目の教えを、自ら上行菩薩の再来として弘め始めました。
しかし、残念なことに、インドから中国、中国から日本へ、東へ東へと伝えられた教えは、そこで途切れてしまいました。なぜならそこには太平洋があったからです。
そんな中で、この法華経、御題目の教えは、日蓮聖人から、門祖日隆聖人、そして佛立開導日扇聖人へと伝えられます。
日蓮聖人は、「一天四海皆帰妙法」とおっしゃり、
また日扇聖人は19世紀の日本にあって、
「地球全界のうちの、あじや、あふりか、ようろつぱ、南北あめりか、」と、
地球全体にこの上行所伝の御題目を弘めることを常に目指していました。
そして、その日扇聖人の御弟子、日教上人のご命をいただいて、
ブラジルに、南米に、仏教を伝えられたのが茨木日水上人です。
仏の教えが、ついに海を越えて、ブラジルにまでつながったのです。
これは、いままでもちろんインド人も、中国人も、日本人も、誰もがなしえないことでした。
今年、日水上人の五十回忌の御年に、上人がサンパウロ市から「ブラジル仏教初祖」と認められたことは、大変有り難いことですが、それ以上に、日水上人がブラジルに仏教を伝えたことを仏様、日蓮聖人、日扇聖人が、どれほど喜ばれておられるかは、想像することが難しいほどです。
ところが、日水上人のブラジルでのご弘通は、順風満帆なものではもちろんありませんでした。
ブラジル到着後はしばらく、奴隷のような生活を辛抱しなければなりませんでした。
そんな中で、病気の人に御題目を授けて御利益で治し、目が見えない人をご祈願して目が見えるようにしました。
毎日何時間も御題目を唱えるので、「気の狂った坊主だ」と罵られることもありました。
そのようなご苦労の末、上人はブラジルに7つのお寺を建立し、
1971年の11月1日、「お世話になりました」という言葉を残して、ご遷化になりました。
茨木日水上人は、決して一人でブラジルに仏教を伝えたのではありません。
そこには、日水上人のお題目の種まきを支えた多くのご信者がおられました。
そして、その種を大切に、日水上人がご遷化されてからのこの五十年間、みなさんが手を取り合って進んでこられました。
どうかブラジルのご信者のみなさん、仏様が妙法蓮華経を説かれ、インドから中国、日本、そしてブラジルへと、三千年の時を超え、伝わってきた上行所伝の御題目をみなさまの手で、また未来へと伝えていただきたい。
仏教が弘まっていく歴史の1ページになっていただきたい。
2年後は末法の大導師、高祖日蓮大士のご降誕800年です。緩めず続けて報恩ご奉公にご精進ください。
高崎日現教区長のメッセージ
私は本門佛立宗ブラジル教区長の高崎日現でございます。
今回の茨木日水上人50回忌にて、本山・宥清寺とブラジル本寺・大宣寺と同時生中継で拝ませていただけることはこの上なくありがたいことです。
世界は今大変な状況にありますが、かつて、三祖聖人や私たちの茨木日水上人も比べられないほど、それ以上の苦難を超えられました。そしてその中でも全く動じられなかったのです。
それは、すべてのベースにお題目があったからです。
私たちは距離こそ離れていますがお題目のご信心で結ばれています。
何カ月も世界が新型コロナウイルスの影響を受けておりますが、そんな中でもブラジルの全信徒と共に本山参詣させていただけることはありがたく、全く想像し得なかったことです。また、日伯間の法要で、お題目にお互いが結ばれていることは身に余る喜びです。
ご講有は、前回ご来伯をくださった2017年に多くご教導と功徳を残して下さいました。そのお陰で、私たちは信心改良をさせていただくことができ、さらにご宝前に結ばれることができました。
故にこの50回忌も有意義にこの式典を活かさせていただき、心身ともなる信心増進の糧になりました。
ご講有ならびにご参列のお導師方、お教務方、世界中のご参詣の方々に心から随喜申しあげます。
茨木日水上人の生涯=偉業たるお題目の種まき
日水上人の生涯は、海外布教における佛弟子の模範といえましょう。
ブラジル佛立宗では、日水上人のご存命中のお弟子と後の孫弟子等を数えると、実に72名もの僧侶になる。そして、その生涯は未だ新入り僧侶の動機になっている。
お寺はご存命中に7カ寺建立。その後は4カ寺とブラジル全国に道場が点在しています。
ご遷化された1971年に念願のブラジル人僧侶が得度され、弟子育成の目標を達成された。
その後、今に至るまで僧侶陣が増え続け、80年代後半には日本からの派遣制が中止となり、ブラジル教区長はブラジル僧侶が勤めることになった。
そして現在、僧侶陣は全員ブラジル人でありながら、その半分は非日系であるということも、日水上人が望まれたブラジルならではの布教に適したバランス。
日水上人は弟子だけでなく、特にご信者にも尊敬された。どんなに苦労された厳しい方でも、日水上人のお名前をあげると、「あのお方には頭が下がります」と口をそろえて言う。
ことのほかご信者の心配をなされ、病気平癒のご祈願になると、最終バスをのがし、終夜祈り続けてご信者をご利益(りやく)に導かれたことがお慈悲布教の最もたる証といえよう。
そして、残された法灯は今も強く燃え続けていることも、根強くご信心を蒔かれたことによる。
私たちはその偉業たるみ仏のお題目の種まきを受け継いで続けて精進させていただきたいものです。(日水上人伝筆者・コレイア教伯 )