ブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)のネットワーク・プロジェクト委員会と国外就労情報援護センター(CIATE、二宮正人理事長)が11月6日、7日、8日に「在日ブラジル人30周年」を記念し、日本での就労や教育、帰伯後のことなど、様々なテーマに焦点を当てたディスカッションを行った。この企画は例年「コラボラドーレス会議」として開催されてきたが、今年はパンデミックのため文協ユーチューブチャンネルを通じて配信された。協賛は宮坂国人財団、在サンパウロ日本国総領事館、カフェ・ファゼンダ・アリアンサ社。
今年は日伯修好通商航海条約締結125周年、ブラジル日本文化福祉協会65周年、在日ブラジル人コミュニティ30周年記念の節目であり、『「デカセギ」現象から30年を迎えて』をテーマに在日デカセギ子弟や帰伯者らによる講演に力が入れられた。
コーディネーターの吉實(よしざね)ヨシオさんは「この企画は、日系ブラジル人の日本での経験や気持ちを伝えることに意義があります。デカセギとして工場で働くだけでなく、大学に進学した若者や日本の生活でより希望を持ってもらえるような経験を持つ人々の話を伝えることで、人生の視野を広げられるような機会にしてほしいと願っています」との抱負を語った。
6日の開幕式日本語版(https://www.youtube.com/watch?v=RDqrDdLB8jI)と7日午前の部「日本で活躍する新世代」日本語版(https://www.youtube.com/watch?v=gS6E1-m0cxs)は、在日ブラジル人コミュニティーに興味がある日本の人も視聴できるように、日ポ両語の同時通訳がつけられた。
開幕式で貴重な話が続々
文協とCIATE共催の開幕式は、6日20時半から開催された。最初に主催者の石川レナト文協会長と二宮正人CIATE理事長、桑名良輔在サンパウロ総領事、山田彰駐ブラジル日本国特命全権大使、エドゥアルド・パエス・サボイア駐日ブラジル大使、西尾ロベルト宮坂国人財団代表、西森ルイス連邦下院議員があいさつを述べた。
石川会長は「本日のライブはブラジルの日系人にとって二つを記念する意味があります。一つは1955年に創立された日系社会を代表する組織、文協の誕生。第2次世界大戦直後の不確実な時代に、調和のある多様性に寛容な世界を構築することを目的として文協は誕生しました。
もう一つは今年30年を迎えたブラジル人の日本への移住。この動きは、ブラジルにプラスの影響を与えたことはもちろん、日本社会の国際化にも貢献しています。
さらに本日のイベントで特筆したいことは、1992年に日本の厚生労働省とブラジルの日系主要3団体(文協、援協、県連)に合同で開設されたCIATEとの共催であることです。CIATEは創設以来、日本へ就労する人はもちろん、帰国するブラジル人の心のよりどころとなってきました。
最後に、本ライブのもう一つの立役者は、文協青年部のネットワーク・プロジェクト委員会です。これらの日系社会の主役となる高い志と自らの能力への理解を持つ次世代の若者たちを私たちは見守って日伯関係を継続していきたいと思います」と述べた。
「ネットワーク・プロジェクト」とは
秀島マルセーロ文協副会長は、今回のライブを企画したネットワーク・プロジェクトの立ち上げの経緯について説明した。
日本と南米の関係緊密化政策は、安倍晋三前首相の2014年のブラジル訪問と2016年のアルゼンチン訪問に端を発する。首相は、中南米、カリブ地域の日系社会との関係強化を強調した。
その結果、2017年に有識者が将来の協力関係構築のために様々な取り組みについて報告した。日本政府は外務省を通じて、日系人の若い世代を対象とした人材育成や交流のためのネットワーク作りに経済的支援を行い、それが地域社会の強化と発展の貢献につながってきた。
19年には在サンパウロ総領事館の支援で、日本から帰国した日系人の若者のためにこのプロジェクトが立ちあげられた。彼らの日本や帰国後の経験に理解を深め、情報交換を通じて、日系社会とブラジル社会への復帰や参加を促そうという試みだった。
総領事館と文協の支援のもと、宮坂国人財団がメンイスポンサーとなり、ネットワーク・プロジェクトは立ち上げられた。
秀島副会長は「日本とブラジルでの経験を生かし、2国間関係に大切な役割を果たしてほしい。若きリーダーの和田ロドルフォ氏をはじめ、たくさんの才能にあふれた若者が中心となって、このネットワーク・プロジェクトを盛りたててくれることを信じています」と期待を寄せた。
日本人移民の特徴「非識字率の低さ」と「教育熱心」
ルイーザ・リベイロ・ロペス・シウバ伯外務省領事局長による講演『日伯友好の将来』では、日伯関係が移民を通じて確立されたことや、100年以上前の日本人移民の特徴や日系人の成功の要因に焦点を当てた。
シウバ領事局長は、「1898年に締結された日伯修好通商条約は、日本人労働者のブラジルでの入国許可が主な目的で、初期移民は、日本で農業従事者を開放した明治時代の農業革命とブラジルでのコーヒーブームがもたらした民族移動でした。ブラジルではコーヒー農家の人手不足を補うために日本人移民は受け入れられました。
日本人移民の特徴は、1910年、20年代の他民族の移民と比べても非識字率が低かったことで、教育熱心で、子弟に高い教育水準を求めて農村部から都市部に移住しました。移民は常に逆風に耐えなければなりませんが、人類学者で元大統領夫人ルッチ・カルドゾ女史が指摘したように、教育を優先することで次世代が迅速な社会的昇進を実現し、日系人は様々な分野の専門家として活躍するようになりました」と現在の日系人の活躍の原点を振り返った。
さらに、日系人の日本への逆流現象に触れ、「ドイツやイタリア、スペインなどの移民の子孫と同様に、日系人もこの30年間に逆流現象が起きてきました。単に経済的な要因からだけでなく、自らのルーツの国を見てみたいという、感情的な豊かさが含まれています。今の日本でブラジル人の子どもたちは様々な夢を持っています。私たちは彼らの夢をサポートしていきたいと思います」と締めくくった。
デカセギのパイオニア、歌手・平田ジョエさん
途中休憩の音楽演奏では平田ジョエさんが出演。ジョエさんも日本へのデカセギのパイオニアで、当時の思い出を振り返った。
ジョエさんは1988年に日本へ渡り、愛知県で工場労働者として働いていた。その間、歌手になりたいという夢が膨らみ、1994年にはNHK番組『のど自慢』の地域大会に出演。当時8万人がノミネートした中で地方戦を勝ち進み、東京のNHKホールにおける全国大会で見事優勝を果たした。
「日本にいるブラジル人の方に送りたい」と、今回は1人のブラジル人の夢を歌ったブラジル人歌手ジルソン・カンポスの歌を披露した。
在日ブラジル人子弟へ教育支援マウリシオ・デ・ソウザさん
特別ゲストに招待された国民的漫画家マウリシオ・デ・ソウザさん(84)は、約3年前から在日ブラジル人子弟の支援事業に取り組んできた。マウリシオさんは代表作「モニカと仲間たち」のキャラクターを使用した学校の教師向けの日ポ両語の学習用スタンプや日本の学校を紹介するマンガ本の制作、「自信がつく英語ドリル」の制作に協力する等、在日ブラジル人子弟の教育支援を通じて日伯交流を深めてきた。
「この30年間、ブラジル人が新しい機会を求めて日本に渡ったことは、ブラジルへ100年以上前に来た日本人移民と同じ。食事や文化も異なる国へ行くという挑戦は非常に大きなものであり、家族のより良い生活を求めるという夢は今も昔変わらないと思います。私は日本に何度も訪問し、在日ブラジル人が日本の様々な分野の発展に貢献していることを見て来ました。子供も大人も、今後日本に行くブラジル人も帰国するブラジル人も、すべてのプロセスにおいて重要なのは基礎教育です」とマウリシオさんは教育の重要性を説いた。
日本での困難を乗り越えて活躍する日系ブラジル人
二宮正人CIATE理事長による講演『デカセギの価値』では、在日日系ブラジル人は困難にも直面したが、現在は定住した彼らとその子弟たちの中から日本社会で活躍する人が出る時代になっていることが強調された。
「1960年代までは船でブラジルに日本人移民が来ましたが、1980年、90年代からは日本の賃金が良いということでその子弟たちが日本へ出稼ぎに行くようになりました。映画などで日本を知っていても日本語ができず、生活への適応にも苦労し、大手企業に務めても3Kといわれる単純労働の仕事が主でした。出稼ぎ労働者が暮らした町は外国人との共生が慣れていない地方の町で、子どもたちは学校でのいじめにも遭いました。しかし、時とともに日系人が良い成果を出すようになり、ブラジルでの日本人移民の子弟が大学を卒業して様々なスペシャリストとして活躍して来たように、日本に渡った日系人の子弟の中から、医師や弁護士になるような人も誕生し始めました。日本で起業家として成功し、在日コミュニティーのリーダーとしての役割を果たすようになった人たちもいます」
日本で成長した日系ブラジル人の活躍に期待
CIATE主催の7日午前の報告会は、日本とブラジルの政府関係者と、「デカセギ」現象の中で日本で成長した若い日系ブラジル人が招待され、今後のブラジル人コミュニティーでの新しい世代の活躍に期待が高まった。
特に注目を集めたのが、ブラジルの二宮CIATE理事長のもとで研修を行ったこともある愛知県弁護士会所属の弁護士、照屋・レナン・エイジ氏(27、サンパウロ生まれ)と、今年4月から日本で医師として働き始め、出生地のマトグロッソ州クイアバの病院でも研修を行った島田ユウジ氏(24)、アメリカ大陸で最優秀パン職人の賞を受賞したレヴァイン製菓製パン学校オーナーシェフのホジェリオ・シムラ氏(アチバイア生まれ)。
幼少期より日本の学校で教育を受けてきた照屋さんと島田さんは、ともに日本語が苦手だったが、「親や周囲の人のサポート」と「進路の明確な目的」によって大きく前進できたことを強調し、今後も自分の専門を日伯交流のために役立てたいと語った。
オンライン会議で「仕事」と「教育」を語り合う
文協主催の7日午後と8日のディスカッションはZOOMオンラインで行われた。配信はポルトガル語のみ。
7日は「在日デカセギが語る日本の仕事」をテーマに、斉藤アンドレさんとニヘイ・ウーゴさんの司会進行により、金城エジウソンさん(NPO法人ブラジル友の会)、ヴァネッサ・ハンダさん(中小企業経営コンサルタント)、リカルド・ヤマモトさん(PwCジャパン勤務)、ユウジ・テルヤさん(インターネット向け動画制作プロデューサー)がZOOMオンラインに参加し、それぞれのブラジルから日本に来てからの歩みや現在の仕事や各自を取り巻く状況などについて語った。
8日は「教育・日本国内の大学で学ぶ若者たちの声」 をテーマに宮城ユカリ・モニカさん(静岡県文化芸術大学)、ジェニファー・ヤマモトさん(東京国際大学)、フェルナンダ・タジマさん(名古屋学院大学英語学科外国語専攻卒)、マリアしげみ市山さん(城西国際大学言語教育センター、センター長)、バルバラ・ミルトヴィさん(心理学者、テンプル大学ジャパンキャンパス)がそれぞれの体験や思いを語った。
この企画は引き続き21日、22日にもブラジルに帰国した人によるZOOMオンラインでの懇談を予定している。21日は「仕事」をテーマに8時から9時半、22日は「教育」をテーマに8時から9時半まで開催予定。