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特別寄稿=米国しのぐ一等国になれる=日本式しつけをブラジルに=サンパウロ市在住 坂尾 英矩(ひでのり)

きちんと揃えて脱いだ子供の靴

 日伯修好125年移住112周年となり、日系社会はブラジルの中産階級に定着して国民からの信用が厚いのは誠に喜ばしい限りです。
 近頃非常に少なくなった一世たちは、もう孫の時代になると日本語は通じなくなるし、子供たちの国際結婚が増えて淋しくなるが時代の波で仕方ない、という嘆きを時々耳にします。
 しかし私は、人間とは環境の動物ですから、文化とは肌の色、宗教、言語などとは関係なく、生まれてから就学までの乳幼児時代のベルソ(しつけ、育ち)にあると常に思っております。ここで例を挙げてみましょう。
 私は1956年着伯後間もなくジョージ・ペトロフという白系ロシア人のピアニストと知り合いました。
 彼は満州に生まれ、日本人家庭に育てられて日本の国民学校と中学を出ているので、日本語は彼の国語同様でした。
 或る晩、リベルダーデ日本人街で、彼とお寿司を食べていた時、お客の日系二世グループが戦後新来日本青年の悪口を叩いていました。
 するとジョージが彼らのテーブルに向かって口喧嘩を始めたのです。スラブ系の彼の一言が忘れられません。さっと立って「おい、俺は日本人だぜ」とどなったのです。
 もう一つは来伯した友人をホテルに訪ねた時のことです。ホテルの前にいた黒人の子供に靴を磨かせていた彼が金を払って私の車に乗りました。
 すると靴磨きが走ってきて「このお札は高すぎる」と言って返したのです。その黒人の子は日本語の片言をかなりスムーズに話したので話を聞いたら、その子は孤児なので生まれてすぐ日本人の農場主に引き取られて4歳まで、その家の息子同様に育てられたと答えました。
 友人は驚いて「見ろよ、明治が生きているんだね」と感動していました。

ドナルド・キーン、東京都の自宅にて(2002年10月、Aurelio Asiain from Hirakata-shi, Osaka, Japan, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons)

 次に私が2000年代に日本郵船クルーズ船「飛鳥」で文化講座の講師をした時の話です。やはり講師として乗船した高名なコロンビア大学日本文学教授、ドナルド・キーン先生と一緒でした。
 その時の先生の言葉が未だに印象深く残っています。「日本人が敗戦後いち早く立派に立ち上がったのはアメリカの援助ではない、大和魂のおかげですよ」
 日本を愛して日本国籍を取得し、日本人として死にたいと言っていた先生は、2012年にニューヨークを引き払い東京へ移住して2019年に96歳で亡くなりました。
 近年世界各国で日本人のパワーは特性にあると見直されてきたようです。その証拠に訪日する外国人が口をそろえてほめる言葉は、誠実、礼儀正しい、清潔、働き者、親切などですが、これらは学校で学ぶ事柄ではありません。
 正に乳幼児時代から日本伝来大和魂の「ベルソ」(しつけ、育ち)ではないでしょうか。

講演をする坂尾英矩さん

 情報経済などのインターナショナリゼーションが広まった世界で、今後日系コミュニティーがブラジルへ貢献できることは、しつけ即ち大和魂をブラジル人の乳幼児期に植付けるのがブラジルの将来にとって最良の方策ではないかと考えます。
 人種のるつぼブラジルにおいて、肌の色、宗教、階級差などのショックなしにまとめられるのは乳幼児教育という新しい分野しかないと確信します。

 初期日本移民は農業、戦後は商工業に貢献しましたから、今世紀は乳幼児教育に焦点を当てたらどうでしょうか。
 廃墟の日本が20数年後に経済大国になったのですから、やる気があればブラジルは将来アメリカをしのぐ一等国にのし上がれる筈です。いかがでしょう「三つ子の魂百までも」を再検討しては?
(筆者=元在サンパウロ総領事館広報文化担当、本年度秋の叙勲「旭日双光章」受章)