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中島宏著『クリスト・レイ』第81話

 入植者たちの支払い能力を上げるにはまず、彼ら自身が何らかの利益を毎年挙げていかなければ、無理な話ということになる。だが、特にここの場合は、そのほとんどが大した経験もない、半分は素人のような農業者たちばかりであってみれば、最初からそれを期待する方がおかしいというべきことだったかもしれない。
 事実、植民地としての形が整って、それを分譲はしていったものの、現実の問題として、即座に入植者たちから金が入ってくるなどということはあり得なかった。ただ、上塚第一植民地が好運であったとすれば、それはあの平野植民地のような、悲惨な事件も起きず、農作物の収穫も比較的順調であったという点であろう。
 この地方一帯を襲ったあの大干ばつも、その後は現れる気配も見せず、すべてが順調に推移していった。さらに言えば、ここの植民地は、平野植民地と比べて地味がよく、その分、単位面積当たりの収穫が思いがけず高かったということも幸いしたといえる。
 最初の四年ほどは、未経験と現地の農業の知識がなかったこともあって、思うように収穫が伸びず苦労したが、しかし、この好条件に恵まれたおかげで、上塚第一植民地はその後、ゆっくりとながらも次第に安定への道を辿っていった。

 隠れキリシタンたちの住むゴンザーガ地区は、この植民地の一角を占めていた。
 福岡県今村から、最初の隠れキリシタンの人々がブラジルにやって来たときは、まだ、この上塚第一植民地は存在していなかった。彼らは、移民後七年ほどは、リンス近郊のあちこちのブラジル人の農場に分散する形で、雇用人として働いていたのである。
 だから、初期の隠れキリシタンの移民たちは、最初から明確な計画と、堅実な見通しを持ってブラジルにやって来たわけではない。永住を一応、目的としていたものの、移民するに当たって確かなビジョンを持っていたわけではない。その点は、当時の他地方からの日本人移民たちと何ら変わることはなかった。ただ、そこに違いがあったとすれば、キリスト教というものをその中核に据え、それを執拗なまでに守り続けたということであろう。
 ブラジルが、世界でも有数なカトリック教国であったことも、隠れキリシタンの人々にとっては、安心感とやすらぎのようなものを感じさせるものであったことは間違いない。
 ブラジルへの移民は、彼らにとって日本での長期にわたったキリシタン弾圧に耐え抜いて来た、その精神の発露であったのかもしれない。無論、現実には当時の厳しい生活状況の日本から逃れる為のものではあったけれど、その根底にあったものは、そういう何世紀も絶えることなく続いて来た、キリシタンとしての極めて強い精神であったことは間違いないであろう。
 ある意味でそれは、日本人移民の中でも際立って特異な形を持つものであったと言っていい。隠れキリシタンは、ブラジル日本人移民の歴史の中では、ほとんど目立たないほど影の薄い存在であるけれど、それが、誠に稀有なものであるだけに、特にこのブラジルの国との関連性においては、注目に値するものがありそうである。