ホーム | 文芸 | 連載小説 | 中島宏著『クリスト・レイ』 | 中島宏著『クリスト・レイ』第83話

中島宏著『クリスト・レイ』第83話

 プロミッソンの町について少し触れる。
 “プロミッソン”はポルトガル語で、“約束”を意味する。もともとはここが、ノロエステ鉄道のエイトール・レグルー駅から始まっていったことは前述した通りだが、それが人口の増加に伴って町に昇格するにあたり、このプロミッソンの名前が付けられた。
 その由来は、この土地がサンパウロ州ノロエステ(北西)地方のカナン(カナアンとも書く)と位置づけ、そこから“約束の地”の意味を込めて、プロミッソンと命名されたものである。
 カナンとは、あの聖書に出てくる「乳と蜜の流れる場所」であり、「約束の地」と称される場所である。それが、このプロミッソンの名前に繋がっている。
 プロミッソンの町が誕生したのは、一九二三年の十一月だったから、上塚第一植民地が創設されてから、五年後のことになる。つまり、日本人移民のこの地への到着から、この町は急速に発展したということでもある。
 ちなみに、現在のプロミッソン市の案内書には、町の名の起源の説明とともに、この町のキャッチフレーズが記されている。
 それは、“ブラジル日本人移民の植民地発祥の地”というものである。日本人移民への畏敬の念が込められているフレーズでもある。
 プロミッソンの現在は、ノロエステ鉄道の起点であるバウルーや、隣のリンスに比べると、人口も少なく、それほど目立つ存在でもないが、ノロエステ地方に浸透していった日本人移民たちの独立自営の形としての植民地創設の先駆けを成した所といえよう。
 同じノロエステ地方で始まった、あの平野植民地の思いがけない挫折を乗り越えるようにして、そして、その遺志を引き継ぐようにして開拓されていったのが、プロミッソンの上塚第一植民地であった。そしてそれは、この地からさらに奥地の、ビリグイ、アラサツーバ、アリアンサ、ペレイラ バレットなどの、様々な日本人植民地の創設に繋がっていったのである。
 プロミッソンは、初期のブラジル日本人移民の歴史の中で、そのように重要な役割を果たす位置にあった。プロミッソンが現実に約束の地であったかどうかはともかく、この地に、多くの日本人移民を引き寄せたのは、歴史の中の事実でもある。
 この地に植民地としての礎を築いた上塚周平の名は、現在もブラジルの日系社会では、“ブラジル日本人移民の父”として広く慕われ、敬われている。


葛藤

 一九三八年、八月一五日。新しいクリスト・レイ教会が完成した。
 それは、ブラジル日本移民たちが初めてこの国で、自分たちの手によって建てた本格的な教会であった。「天主キリスト」の意味を込められて命名されたこの教会は、言ってみれば日本移民、それも隠れキリシタンという限られた人々の教会であり、前述したようにこれは、ブラジルのカトリック教会とも直接には繋がらない、いわば、異端ともいえる独特な形を持った教会であった。
 当時の日本移民の中には、キリスト教信者の存在は稀有といっていいほどのものであり、上塚第一植民地内でも、この隠れキリシタンの人々の教会のことは、一般にはあまり関心を持たれるということがなかった。