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中島宏著『クリスト・レイ』第84話

 だが、ゴンザーガ地区に集まってグループを作りながら生活している、隠れキリシタンの人々にとってこの出来事は、快哉を叫ぶというほどの雰囲気を持った、特別な高揚感を伴う一つの大きな事件であった。それは、彼らにしか分からない心境のものであったが、自分たちの信じているものを、この新世界である新天地で、はっきりした形として造り上げたという達成感と、大きな満足感とを覚えるものであった。三百年に亘って継承されて来たものが今、このブラジルという新しい大地で、その同じ流れを汲むものとして新たな芽を出し始めようとしている。
 そのことに対する感激と感慨とを、人々は等しく感じ取っていた。
 彼らにとって、ここにこそ生きている意味があり、先祖たちが命をかけて守り通してきたものを、さらに伸ばしていこうとする使命感がそこには存在していた。
 無論そのことは、門外漢である他の人々には理解されないであろう。
 むしろそれは、奇異な思想を持った集団として見られるということになるかもしれない。が、隠れキリシタンの人々にとって、そのようなことはどうでもよかった。自分たちの持つ、強力な精神と絆は、何人にも邪魔されることなく、遥か遠い世界の彼方にまで持続されていくものであることに、彼らは何の疑いも持っていなかった。
 要するに、そういう強い信念こそが、この異郷での生き方を支えて来たわけであり、不安定で見通しの効かない世界への挑戦を執拗に促して来たともいえた。
 そういうことでいえば、彼らは本来の意味での移民たちであったといっていい。
 偶然ながら、約束の地を意味するプロミッソンへ、新たな自分たちの人生の開拓のために移民としてやって来たことは象徴的でもあるのだが、ここを基点としてさらに奥地に挑戦していくというその行為は確かに、移民の持つ宿命的、かつ運命的なものといえるかもしれない。
 そこにあるものは、まったく見知らぬ世界に、新しい生活の基盤を造ろうとする開拓者精神であり、それは必ずしも、単なる宗教的なものに結び付いているものではない。ただ、そうではあるにしても、移民という、個人的な見地からいえばとんでもないスケールでの一大事業を起こそうとするとき、そこにはやはり、それに相応するような精神的な背景がなければ、満足に目的を達することはできなくなる。
 そういう意味で、この約束の地にやって来て移民と開拓とを実践していった隠れキリシタンの人々は、それなりの精神構造を持っていたというふうにいえるかもしれない。表面的にそれは、宗教というシンプルな形を持つものではあるのだが、しかし、実質的にそれは、気の遠くなるような時空を経て生まれてきた、尋常ではない忍耐力と、考察力と、複雑で深遠な精神力によって形作られてきたものであった。
 そういうものが、この日本からは遥か遠く離れた、未開の大地に脈々と生き続けている。その流れは、この未知の大地でさらに大きく広がっていくようであった。

 その辺りの詳しい背景や事情は知る由もないが、マルコスは、このゴンザーガ地区の人々が、そのように精神的バックボーンを明快な形で持っていることを感じ取っている。それは、彼らの生き方が常に目的意識を持っているというところにも表れていたし、何よりも、彼らにとっては異郷であるこのブラジルで、逡巡することなく真剣に生き抜こうとする態度にもはっきりと表れていた。そこに、この隠れキリシタンの人々の持つ特徴があった。