私は、特技としての西語から日語及び、逆に日語から西語の両翻訳業を長らく、移住事業団(JICA)、搾油会社(CAICISA)や、最後は住友商事のサラリーマン時代に、副業の様にしてやってきた。
そのためには、古くからアスンション市の最高裁判所において、公証翻訳人の登録(15番)もして居た。
だが、もう齢も歳だしこれ以上、余り出しゃばっては、“老害 ”の迷惑を、世間にお掛けするので遠慮したいと思い、昔の事故や手術の後遺症の養生も兼ねて、静かに自宅で蟄居生活を過ごすべく決めた。
そこで、おりよくと云っては語弊になるが、丁度全世界に亘って、新型コロナの災害が発生・蔓延し、パラグァイに於いてもクアレンテーナの検疫隔離の強制策が否が応でも徹底的に布かれ、私はそれに加えての、三重の意味の閉居になった。
しかし、世間はその様に厄介な騒ぎのところ、せっかく天与の才能として授けられた技能を、なんらかの形で世間にいかせないか、何か有名な著作でも訳出して、遺す事は出来ないかと、兼ねてより考えていた。
こうして、思い付いたのが、パラグァイでは過去唯一の、スペイン語圏のセルバンテス文学賞に、ストロエスネル独裁政権末期の1989年に目出度く輝いた文豪、故アウグスト・ロア・バストス氏の名著、パラグァイ建国フィクション歴史小説『余は至高の総統なり = YO EL SUPREMO』の全訳だった。
元々、私はこの邦訳は同故人の生誕(1917年)100周年記念にも寄せて出版する心算だったのが、やり始めて見ると、流石にスペインの名著『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」にインスピレーションを受けた作風だと云われる大作だけに、駆使する用語の云い回しや、語彙に古典的な古いスペイン語が多く、パラグァイの歴史、民俗風習及び国民性も理解した上での、直訳や意訳を混合した「超訳」に成り、なお間接的にも新型コロナ禍の影響も受けて、完訳までには優に3年以上の、予想外の時間を要した。
ところが、完訳とは云っても、実際にこの邦訳著書が出版され、物理的にも多くの読者にわたる迄は、当の翻訳が終わったと、私は、未だ言いたくない。
しかして、その長期に及んだ翻訳作業が終わってみると、当の手塩に掛けた翻訳の原稿が、正に本になって出版され、多くの人々に読まれるまでは、折角の目的も達せられない事を思い知った。
そこで「超訳作業」以上の挑戦に現在挑んでいるのが、仮称“日巴友好文化交流促進事業”の大義名分の許に、『余は至高の総統なり』の日本に於ける出版・拡販計画に、目下或る有力な筋を通じて鋭意挑戦中である。
でも、気が付くと、初めに齢も歳だし所謂、“老害 ”の弊害を世間に及ぼさないために、自宅で静かに過ごそうとしていたのに反し、あに図らんや、件の『余は至高の総統なり』発刊に取り組んで見ると、当地及び日本でも克服すべき幾多のハードルに遭遇し、逆に多くの人達に大変な御厄介をお掛けする残念な始末になった。
そのように今まで、七転び八起きの努力をして来たが、前述の新規計画が芽を吹き、今迄に無い景気の好い朗報が近い内にお届け出来る事を内心切に願う昨今である。