日系旅行社協会元会長、「宮城県人会を明るくする会」代表、農業技術移住者協会役員などを務めた佐藤八朗さんが、4日午前6時にサンパウロ州インダイアツーバ市内のアウグスト・オリベイラ・カマルゴ病院(Hospital Augusto de Oliveira Camargo)で多臓器不全により亡くなった。行年78歳。同日に家族と知人で告別式を行い、市内墓地に埋葬された。
佐藤さんは宮城県岩沼市出身。1967年に「あるぜんちな丸」で工業技術移住者として移住した。当初は同市内で日系農業機械メーカーの井関農機株式会社で働き、その後は自動車製造会社フォルクスワーゲンで金型工員を勤めた。
バール経営の他、8年前までは旅行会社を経営し、デカセギ全盛期の90年代に日系旅行社協会会長を務めていた。近年では引退し、サンパウロ州初の日本式城「インダイアツーバ希望城(カステロ・ダ・エスペランサ・デ・インダイバツーバ)」建設計画を進めていた。
佐藤さんは一カ月前に肝臓が悪くなり入院。いったん退院したが他の臓器にも広がって2日に容態が悪化。急きょ集中治療室で手術を行ったが、回復せず息を引き取った。
偲ぶ会や四十九日などの予定は決まっていない。