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中島宏著『クリスト・レイ』第89話

現実に、そのように隠れキリシタンがはっきり蔑視されるとか、差別されるという問題があったわけでもないから、それが移民の動機になったということはないわ。
でも、新しい国を目指すとき、それがブラジルのようにカトリックの国であり、しかも将来に向かって大きく伸びていくような国であれば、私たちにとっては、まあ理想的な世界というふうに映ったことは間違いないわね。
あの福岡県の今村や、長崎県の平戸辺りからの隠れキリシタンの子孫たちの移民が結構多かったのも、その辺を物語っているともいえそうね。だから、そういう意味でいえば、マルコスも言ったように、ブラジルという新世界へ飛び出すことによって、日本よりはもっと自由で希望の持てる場所を目指したということは確かに言えるでしょうね。やっぱり、日本という国はすべての点で生きる世界が狭く、息が詰まりそうなところがあるから、ブラジルのように広々とした所に憧れるのは、少なくとも私たちにとっては自然な流れでもあったわけね。この国に来て、日本にはない大きな開放感を味わったことも事実よ。
ブラジルへ移民したことが正解であったかどうかと問われれば、躊躇なく正しかったと答えるでしょうね。日本で宗教的な抑圧がまったくなかったと問われれば、なかったと言えば嘘になるけど、でも、私の場合は、その点はあまり神経質になって考えるタイプではなかったから、特にそれが気になっていたということでもないわね。
まあ、人それぞれだから、私とは違って、その辺りをかなり深刻に捉えていたという人たちもあったでしょうけど、それでもどうかしら、全体から見ればそういう人たちは、限られた数の人たちだったといえるでしょうね。
ヨーロッパの国々から移民して来た人たちの中には、本当に厳しい宗教的な弾圧や、民族的な迫害などから逃れて来た場合も結構多いと聞いているけど、それと比べれば、私たちの場合はそれほどの深刻さはなかったと言えるわね。
確かに、日本で生きていく上での閉塞感というものはあったにしても、そういう弾圧のようなものはなかったから、必死になって逃亡するような形で国外に出たということとは違うわね。
マルコスが想像していることは、私にも一応分かるけど、でも日本からの場合は、それほど深刻で耐えられないほどの重さを持つものではなかったわ。少なくとも今の時代に生きている、隠れキリシタンの人たちの心情というのは、それほど切羽詰ったものではなく、もっとゆったりとした感じというのかしら、宗教の問題で追い詰められてしまったというほどの緊張感は持っていないというのが正直なところね。
確かに、私たちの過去には、それこそ耐えられないほどの苦しみを味わってきたということはあるけど、でもそれは、あくまで過去のことであって、それが現代まで続いているというわけではないの。
そういう思想的な問題で日本を飛び出したのではなく、さっきも言ったように、とにかく新しい世界で、広々とした世界で、新たな可能性を試してみたいという、そういう一心でこの大きな国、ブラジルへ移民して来たということね。
そういうことから言えば、隠れキリシタンの人たちも、そうでない人たちと同じように、外国へ出ようという願望が強かったということでしょうね。その外国で、何かそれまでには考えられなかったことに挑戦しようという気分が大きく膨らんだということかしら。