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コロナに負けず料理店開店=七転び八起きのレバノン移民

フセインさん(左)とアブドゥルさん

フセインさん(左)とアブドゥルさん

 「この店のエスフィッハの味はシリア本国と同じです」。今年8月にオープンしたレバノン人移民のフセイン・アリナリさん(54、タイベ生まれ)がひらいたアラブ料理店『エスフィッハ・タイバット』(Rua Triassú, 335-Perdizes)をひいきにするのは、シリア戦争を逃れてブラジルに来て6年になるアブドゥルバセット・ジャロールさん(30、アレッポ生まれ)だ。
 ジャロールさんは、同店で10月にサンパウロに来たばかりの同郷のアブドゥルさん(22歳)が働いていることもあり、頻繁に通って店の宣伝にも協力している。
 ジャロールさんとアブドゥルさんはアレッポで同じ地区の住人だったこともあり、互いに特別な親しみを覚えている。2011年にシリア戦争が始まった後、アブドゥルさんは2014年にパラナ州フォス・ド・イグアスに渡った母親を追って、翌年に2歳年下の弟と同地に到着した。

店頭に並ぶ焼き立てのエスフィッハ

店頭に並ぶ焼き立てのエスフィッハ

 10月にサンパウロに来るまでフォス・ド・イグアスで衣料品や靴、お菓子販売の仕事に従事し、その際、フセインさんとも知り合ってサンパウロに呼ばれた。今はフセインさんと同居しながら働いている。
 店をオープンして4カ月ほどでお客さんも増え、アラブ系の常連も少なくない。塩味中心になりがちなブラジルの料理に比べ、本国の味を引き継ぐ移民の店らしく、「おふくろの味」を思い出す中東風スパイスが効いており、リピーターが増えるのかもしれない。
 コロナ禍でも恐れることなく新しい飲食店を開けたフセインさん。その不屈の商魂のルーツをたどると、今も昔も変わらないレバノンの苦境と不安定な社会情勢に行きあたる。
 フセインさんはレバノンが内戦を繰り返す時代に生まれ育ち、国内では生きにくいため、外国により良い生活を求めた。最初は米国で1年過ごしたが一旦レバノンに戻り、1990年からブルガリアやルーマニアでも生活を試み、1997年にビザを取得できたブラジルに渡った。
 サンパウロを拠点にリオやブラジリアでビデオゲームの行商をはじめ、ゴイアニアやサルバドールでも商売を行ったり、パラグアイで輸入業者の管理を行ったり、一時はサンパウロで5店舗の衣料品販売店を経営するまでになった。
 しかし、事業に失敗して多額の借金を抱え、気力を失って2年ほどレバノンに帰国した。その後、サンパウロに戻って縫製業を始めたがそれも失敗に終わった。だが「レバノンやシリアでの戦争を思えば︙」と原点に戻って奮起し、14歳の頃からレバノンで働いていた飲食業で再起をかけることにした。
 ブラジルでも生活は決して簡単ではないが、じっとしていても始まらない。コロナ禍でも「やらないよりはやるしかない」と、サバイバルを続けるレバノンやシリアからの移民の姿が聖市では方々で見られる。 
 朝10時には必ず焼き立てのエスフィッハが並ぶ『エスフィッハ・タイバット』。アラブ菓子の他、サンドイッチのシュワルマや他のアラブ料理も注文しておけば「おいしくお得に」、気さくなフセインさんがサービスしてくれる。(電話=11・3871・9572、携帯=11・98833・0877)〈大浦智子さん寄稿〉