国立交響楽団(Orquestra Sinfonica Nacional)が12日正午に60周年記念バーチャルコンサートを開催した。コンサートには、フルート奏者のオデッテ・エルネスト・ジアス、クラリネット奏者のジョゼ・ボテーリョ、コントラバス奏者のサントリノ・サントロといった退団者達も参加した。
演目の一つはエイトール・ヴィラ・ロボス作曲のバシアナス・ブラジレイラス第7番(Bachianas Brasileiras nº 7)だ。この曲には、複数の声部が順次現れるフーガ(追走曲)が含まれている。
同楽団は1961年1月12日に、ジュセリノ・クビチェック大統領の大統領令で創設された。現在は1960年12月18日に総合大学となったフルミネンセ連邦大学の傘下にある。
アントニオ・クラウジオ・ルカス・ダ・ノグレガ同大学長は、「学生数が国内最多の大学とブラジルの重要な文化的な資産である国立交響楽団の記念日が短期間で続くのは大変だが、こんな大変な時期だからこそ、教育と文化の殿堂という第一義的な役割の遂行が大切だ」と語った。
国立交響楽団は、音楽界のエリートが揃っていた国立ラジオ楽団と教育省のラジオ楽団の音楽家を結集した上で、参加希望者を募る試験も行って結成された。同楽団の初回コンサートは、1961年末にマラカナンジーニョで行われた。
国立交響楽団は全国教育ラジオ放送キャンペーンに参加していたため、教育省ラジオ局が楽団の演奏を何百回も録音して放送した。同楽団はこれにより、様々な層の人達に知られ始めた。
楽団の活動スケジュールは、大統領令で指定された教育ラジオ放送サービスのディレクターが議長を務める芸術評議会が作っていた。同楽団からは国を代表するような指揮者や演奏家、作曲家も多数輩出されている。
教育省の教育ラジオ放送サービスは1982年にジョアン・フィゲイレド大統領の大統領令で廃止され、音声記録やデータ類はブラジル教育テレビ中央財団の管轄下に移された。
同楽団は1984年、ミナス州出身のヴァイオリン奏者、ジョゼ・エパミノンダス・デ・ソウザの仲介で、フルミネンセ連邦大学と楽団存続のための相談を始めた。
ジョゼ・ライムンド・マルティンス・ロメロ学長(当時)は、音楽家達を大学所属とする事や、ブラジル教育テレビ中央財団にあった記録類の移管なども話し合った。
音楽家達は1986年だけで63人が、フルミネンセ連邦大学公務員として正式に異動。現在は83人が、同大学所属の楽団員として名を連ねている。音楽家採用のための試験は、2019年に1回だけ行われた。
昨年はコロナで活動形態が変わり、会場でのコンサートは3月開催の1度だけだったが、演奏ビデオは7本作製された。これらのビデオは、ユーチューブや同大学芸術センターが運営するチャンネルで閲覧できる。
当面はオンラインでの活動だが、予防接種が普及し始めたら年3回の演奏会を考えている。今年最後の活動は、全世界を覆った影が取り払われた事とブラジルの社会生活や文化活動が広範囲に再開された事を喜ぶ、「命を寿ぐコンサート」にしたいと願っているという。(12日付アジェンシア・ブラジルより)