驚きの連続
私が初めて沖縄に帰省したのは1968年であった。帰省なんて言葉はこのさい当て嵌まらないかも知れない。
生まれたのは沖縄には違いないが、生後10カ月で生まれ故郷を離れ、幼少年時代はブラジルの草深い農村で暮らし、沖縄の事は父母から断片的に聞かされただけに過ぎず、而も低学年の頃から周囲の影響を受けて脱沖縄人に没頭していた私にとって、沖縄は完全に未知の国に過ぎなかったからである。
倉敷紡績ブラジルに入社してから8年目に初めて大阪本社に出張した時であった。
丁度その頃、沖縄では日本の自民党推薦の西銘順二氏が主席(知事)選挙に立候補し、屋良候補と激戦中であった。
与党の推薦とあって西銘氏の名は全国に広まり、私が東京のホテルで西銘ですとカウンタ―に行くと、「沖縄からですか?」と問われ、「いやブラジルからだ」と言うと意外そうな顔をしていた事を思い出す。
途中ロスアンゼルス空港で貰った日本の新聞に西銘候補が「沖縄の本土復帰は時期尚早である」と発言した記事を見て、「あ、これで勝負は決まったな」と即座に思ったが、開票結果は全くその通りになった。民意と実態の乖離であったのだ。
本社での用事を済ませて沖縄行きの手続きを始めたら、アメリカ占領下の沖縄に行くためには特別の身分証明書(パスポ―トに相当)が必要で、それには戸籍謄本が要る。
自分の故郷に帰るのに入国許可が要るなんて変な話だが、久米島に居る実姉に頼んで戸籍謄本を大阪本社に送って貰って件の書類を入手し、香港行きの日航機に乗って那覇空港に着いたらパスポ―ト・チェックがあると言う事で全員降ろされた。
すると、出迎席に私の名前を記した横断幕が張られ、親戚が大勢出迎えに来ていた。そっちへ向いて合図をすると、ものすごい歓声が上がり、一緒に降り立った日本人乗客が西銘の名前を見て、「あれ、この便に西銘候補が乗っていたのか、あれか、案外若いんだな」と話し合っているのが聞こえて来た。
当時私は36歳だった。西銘候補は少なくとも一回り上であった筈だ。
長い列で待っていたら、いかめしい制服姿の警部が近づいて来て、「貴方の従弟ですが」と名乗り、列から外され直接パスポ―ト・チェックの窓口に案内された。「今夜あんたの歓迎会が予定されているが、自分は学生の日本復帰デモがあるのでそっちの警備に行かねばならないので失礼する」と言うことであった。
空港を出て、1933年私が家族と一緒に旅立った時見送った光景を覚えていると言う従弟の家に案内され、そこに集まった人達が「良かったね、ほんとに良かったね」と言うので何の事かと聞いたら、私が長い外国生活で日本語が出来ないと思っていたが、日本語で会話が出来るので助かったと言う事だった。
私も実は同じ事を心配していた。永い間アメリカの占領下だから、みんな英語を使っていると想定し、「学校で習った英語は全然使い物にならないので参ったな」―と思っていたのである。
それを言うと、「だれが敵国語なんか使うもんか」と言う返事が返って来て、驚いたり嬉かったり。今更のように明治維新以後、徹底した基礎教育の成果で強固なナショナリズムが構成されているのを目の当たりに見せ付けられ、基礎教育徹底の重大さを改めて感じさせられた。そこには大阪とちっとも変わらない「日本」があった。
人種偏見の問題
変なコジ付けのようだが、歴史的に逆境に置かれ、平等な生活条件や教育の機会さえ与えられず、劣等民族として扱われ差別されている黒人や土人と、基本教育制度の徹底と密接な関係がある様に思われる。
人種偏見は少なくとも法令で禁じられているが、永い歴史の過程で構成された潜在意識は1篇の紙切れで抑制する事は困難である。本音と建前は必ずしも一致しない。
つい最近アメリカで白人警官が手錠をはめられて自由を奪われた黒人男を膝で押さえつけ窒息死させた事件の直後、ブラジルでもスーパー・マーケットで同じ様に白人警備員が黒人を殴り殺した事件の映像が公開され、例によって加害者である警備員を人種偏見で起訴しようとしているが、私に言わせれば被害者の黒人の行動も徹底的に調査する必要がある。
ブラジルの黒人系はポルトガルの植民時代の1550年から3世紀に亘ってアフリカ大陸から送り込まれた480万人の奴隷(自主移民が + 0・4%)の末裔である。
ことの起こりは開拓の歴史の過程で、彼らが強いられた格差社会が原因なのだ。格差社会は世界中どこにもあるが、ブラジルの場合は開拓時代に白人が自分達だけの特権社会を維持するため故意に奴隷、土人やカボックロ達の社会への参入を拒み、教育の機会も敢えて与えなかった歴史的な事実である。
ブラジルの監獄は常時満杯で囚人に黒人系が多いと言う。黒人はみんな悪者なのか、警察は黒人だけを逮捕している様にも思えるが、「悪さをする者を捕えて見ると黒人系が多い」と言うだけの話である。
ではどうして罪人に黒人が目立つのだろうか?
黒人と雖も生まれながらの悪人では決してない筈だが、この現象の一端は黒人自身に問題があるのではなかろうか?
劣悪な状況に追い込まれた黒人は奴隷の後裔であるという意識が強過ぎて、劣等感、因習、諦観、自虐意識などから抜け出し切れず、自助努力によって社会的地位の向上を目指す意欲に欠け、真面目に勉学の道を歩むのは自分たちには関係ないものと思い込み、社会の下積みになるのが当然だと観念し、良い職業にあり付こうと言う意欲も乏しく、秩序の乱れたファベーラに住み込み、麻薬や不法行為をなりわいとする悪徳集団の餌食になり易い事などが考えられる。
最近何処かで或る大学の黒人系教授が書いた同じような趣旨の投稿を読んだ記憶がある。
黒人の後裔に対しブラジル政府は、大学の枠、選挙に立候補する者に対し運動費の枠を設ける等、それでも足りず毎年11月20日を「黒人意識の日」と定め休日にするなど、偏見の緩和を模索している。だが、こんなザル法で根本問題である所得の偏差、社会的地位、知的能力の向上の解決にはならないと思う。
寧ろ、見当違いの優遇策を施して甘やかし、悪さをしても咎められない特権が与えられたものと「勘違い」して、やりたい放題の不法行為を繰り返しているのではないだろうか? 「魚を与えるな、獲り方を教えろ」と言う格言を思い出すべきである。
人種差別の対象となっているコミュニティーが結束して、自助努力、相互扶助、社会的地位の向上、社会観を替え、知的レベルの上昇を遂げるために切磋琢磨する事が望まれる。
一方、政府は、学令期にある児童が全員隔たり無くしっかりした基礎教育を受けられる体制(義務の徹底化、カルキュラムの見直し、必要あれば奨学資金制度の設定、教職員の待遇改善)を整える事が必要だ。
気の遠くなるような時間を要するが、日本移民が逆境に喘ぎながら自助努力によって成長し、1世紀近くもかけてイメージを更新し、社会的地位の向上、偏見を軽減させた実例のように、能力主義、実利主義が自ずと台頭し、より円満なブラジル文化が構築され、自ずと人種偏見は消滅するではなかろうか。(2020年12月記)