「紙谷さんも神田さんも、川本も福田も…、日本の友達は皆あちらに行ってしまって。私はブラジルで90歳過ぎて元気でやっているのに」
2020年でブラジルに移住して50年になった金進卓さん(90、日本語名:金沢吉男)は、3年前に久しぶりに少年時代を過ごした日本各地を旅行した。子どもの頃の日本での遊び仲間の多くが天に帰し、生きていた友人も自動車を運転できるのは奥さんたちだけ。時の移り変わりと自然の摂理とはいえ、一抹の寂しさを覚えざるをえないという。
現在、モルンビー地区に暮らす進卓さんは、パンデミックになるまでほぼ毎日、ブラジル大韓老人会の任務を果たすため、自分でハンドルを握り、ボン・レチーロ地区の事務所との間を往復していた。少し落ち着き始めた8月頃からも週に数回は事務所を訪れ、1人で食事ができない人々の世話などを務めてきた。
「大韓老人会に集まる人は、金銭的余裕がなく、助けてくれる家族も少ない人が多くて。だからここを閉鎖するわけにはいかないのです」
10年以上前から同会の会長を務めてきた進卓さんだが、自らも高齢で心身ともに衰えを感じ、新しい会長にバトンタッチしようとした。だが、会長は雑務が多くお金もかかり、ボランティアでやり切れる人がいないのが現状だという。
結局、進卓さんが身体に鞭打って継続している。10年前には100人ほどいた会員も現在は50人ほどに減り、会費も減った上、今はパンデミックで感染を恐れて歓談に訪れる人もほとんどいない。
「事務所の家賃の負担が大きい。老人会は行政に登録すれば税金を払う必要もないので、家賃がなくなれば会長の担い手が増えると思い、8月に新しく購入する家屋を見つけたのです。ですが、書類手続きがなかなか進まなくて。夜も心配で眠れず、妻のところにも3カ月訪問できなくて娘に怒られました」
進卓さんの妻の李根洙さん(85)は、7年前から腰を痛めて歩行が不自由となり、空気の良いインダイアツーバの別荘でお手伝いさんや介護士と一緒に生活するようになった。3月にパンデミックとなってからは娘が世話することになり、週末だけ様子を見に行く生活が続いている。
「妻と一緒に今も旅行に行きたいけれど、その楽しみもなくなりました。韓国コミュニティーの新聞には旅行社が案内する国内旅行のツアーの広告がありますが、高齢者には万が一に備えて2人以上でなければ参加できないという規定があって…」と肩を落とす。
毎日1人では広すぎる高級マンションに暮らし、ブラジルでも韓国でも日本でも大切な心の友は大半があの世へ旅立った。サンパウロに残された進卓さんは、人のために役立てることが今の生きがいになっている。
「今年の10月も韓国で大韓老人会の会議に出席したかったですが、新型コロナウイルスの影響で断念しました」
3年前に進卓さんはブラジル大韓老人会の功労が認められ、韓国政府から勲章を授与された。韓国では毎年「老人の日」(10月2日)に合わせ、ソウルの青瓦台(チョンワデ、大統領府)で老人の日記念昼食会が開催される。韓国全土はもとより、米国、オーストラリア、ベトナム、アルゼンチンなど、海外に拠点を置く大韓老人会からも代表が招待され、進卓さんはブラジル代表としてこれまでも数回出席してきた。(つづく)