ホーム | 日系社会ニュース | アジア系コミュニティの今(4)=サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子=韓国編〈5〉 ディアスポラ越え〝地球人〟に

アジア系コミュニティの今(4)=サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子=韓国編〈5〉 ディアスポラ越え〝地球人〟に

1970年代にリベルダーデ広場でよく知られていた韓国人の衣料品店『世紀』

1970年代にリベルダーデ広場でよく知られていた韓国人の衣料品店『世紀』

日本人街で始めた商売

 金進卓さんはブラジルに渡り、当初は腕に覚えのある電気関係の仕事を探したが就職先は見つからず、リベルダーデ地区のリベルダーデ広場の店舗を借りて、婦人服や雑貨の販売を始めた。当時のリベルダーデ広場は完全に日本人街で韓国人は数えるほどしかいなかった。
 しかし、日本語ができれば仕事ができたので、進卓さんも日本語ができることから日系二世を従業員として一緒に働いた。日本移民とも親交があり、今日まで続くリベルダーデ商工会の創設メンバーにも加わった。
 約3年間、妻とともに懸命に働き商売も繁盛していたが、地下鉄が通ることになり立ち退きとなった。そこで、ブラス地区に移って商売を続けることになった。
 ブラス地区には先に商売をしていたアラブ人を中心とした既製服の卸業者がおり、見よう見まねでブラジルでの商売を覚えた。
 当初、日本的な考え方で仕事を進め、ポルトガル語にも不自由だった進卓さんは、同業でありながらアラブ商人などから幾度となく購入費が未払いのまま回収できないなどの憂き目にあった。
 それでも韓国人の仲間とともに信用を得て、ブラスでの商売は軌道に乗った。日本人と似た顔立ちをしていた事で、既に「ジャポネース・ガランチード」としてブラジルで信用を得ていた日本人に乗じることができ、早く信用を得られたという。
65年ぶりに訪問した小学校時代の想い出の地

 日本で生まれ、家族と生きるために韓国、ベトナム、ブラジルと、複数の異文化の壁にぶつかりながら命がけの人生を送ってきた金進卓さん。
 ブラジルに移住してからも、何度も日本や韓国、世界各国を旅行した。2010年には65年ぶりに戦時中の疎開先だった上馬皿を訪ね、地域の人々に親切にされたのが一つの心温まる思い出となった。


2013年、韓伯の二重国籍が認められる

 進卓さんは1975年にサンパウロ州とミナスジェライス州の国境付近に7アルケールの土地を購入するため、ブラジルに帰化した。同時期に帰化した100人の内、30人は「中国領になることを恐れた」台湾人だったと振り返る。
 近年はブラジルのパスポートでもビザなしで日本旅行ができるようになったが、進卓さんはブラジルに帰化したことで、長年、日本を目前にしながら訪日を断念せざるを得ない時もあった。
 ある時、ブラジルにいる孫から韓国旅行のついでに日本で買い物してきてほしいと頼まれたが、約3週間の滞在スケジュールは過密で、故郷の釜山(プサン)から船で福岡県に渡るのは約4時間と簡単でも、ブラジルのパスポートではビザを申請しなければ日本に入国できず、ビザを申請するための時間や体力に余裕がなく、訪日を諦めたこともあった。
 そうした状況に光がさしたのは2013年。韓国とブラジルの2重国籍が認められ、進卓さんは韓国でその手続きを済ませ、3カ月後には韓国籍を再取得し、両国の選挙権が得られることに加え、生まれ故郷の日本へもビザなしでスムーズに旅行できるようになった。

ブラジル生まれの子どもや孫たちと

 進卓さんの長男(58)夫婦は税務署に務め、長女(56)は弁護士としてブラジル社会に根を下ろし、今は孫たちにも囲まれ、穏やかな余生を送っている。進卓さんの楽しみの一つは、日本の演歌を聴くことだが、長男の妻は日系二世で、孫は韓国の歌を知らず、日本の歌ばかり歌うのは少し寂しい気もする。
 日本、韓国、ブラジルの3カ国の故郷がある進卓さんは、
 「それぞれが思い出深く住めば都だった」と懐かしむが、心の原風景は今も日本が色濃いという。
 それでも、年を重ねるごとに、やはり韓国もいいなあとの気持ちが強くなり、骨を埋める場所は、朝鮮戦争に参加して授与された武功勲章により永眠が認められている国立ソウル顕忠院と考えている。
 移民した当時とは比べられないほど発展した先祖の地の韓国を見る度に、良い時代になったなと嬉しさがこみ上げる。
 国家間の思惑や戦争に翻弄され、生まれながらに先祖代々の土地を離れ、ディアスポラ(離散)の状況で生き抜いてきた〝韓国系地球人〟の進卓さん。今もサンパウロをドライブしたり、iフォンで昔の写真を見たり、ボン・ヘチーロ地区で若い世代の韓国人がオープンしているおしゃれなカフェテリアやレストラン情報もチェックを欠かさないなど、90歳という年齢を感じさせない。
 「やるだけのことをやって生きてきたので、もう後は死を迎えるだけ」と笑顔は穏やかだ。(つづく)