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アジア系コミュニティの今(4)=サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子=韓国編〈11〉

】移民する前の韓国での鄭夏源さん家族

移民する前の韓国での鄭夏源さん家族

韓国を発展させた戦前の日本

 鄭さんは、戦前の日本の朝鮮半島統治による韓国人の感情的なわだかまりは百も承知している。だが、大学時代に家庭教師をしていた家の高齢者からは、日本が韓国の様々な発展に貢献した話も聞かされてきた。そのため、日本は敵視する存在ではないと確信する。
 「例えば、公衆トイレ。戦前の韓国には街の目抜き通りにでも、1m四方で深さ1mはある穴が至る所にあり、それが公衆トイレでした。悪臭を放ち、時には穴に落ちる人もいる不衛生なものでした。
 日本人が来てから上下水道が整備され、不衛生な環境が良くなりました。他にも鉄道や車道の交通整備、水力発電、紡績工場など、産業発展の基礎をもたらしました。
 日本と韓国はアジアの兄弟。古くから朝鮮王室と日本の皇室はつながりがあり、戦前には江戸時代なら対馬藩の藩主だった宗家の当主と朝鮮王室の王女が結婚していたのですから」と熱く語る。
 「初期の韓国人移民が暮らしていたリベルダーデ地区でも、やはり先にコミュニティを築いていた日本人に韓国人は助けられた話があります」と、過去の東アジアでの二カ国関係にリベルダーデ地区での関係も重ね合わせる。

鄭夏源さんも通うボン・レチーロ地区で韓国人が営業する新しいカフェテリア

鄭夏源さんも通うボン・レチーロ地区で韓国人が営業する新しいカフェテリア

投資移民として南米に

 鄭さんは1987年に投資移民としてアルゼンチンに渡った。しかし、当時のアルゼンチンは経済規模が小さく将来を期待できなかったため、1989年にブラジルで恩赦が出るという情報を得てブラジルに入国し、難なく永住ビザを取得してブラジル生活が始まった。
 妻(79)と当時大学1年生だった長男、浪人生の次男、高校3年生の三男も一緒に移民し、仕事の目的以外に、韓国では子どもたちが歪んで育つという思いもあった。
 鄭さんは中央大学教育科を中退後、韓国では産業経済新聞の勤務を経て、社団法人世政経営研究所理事長、国民大学校経済研究所研究委員を務め、政府関連のプロジェクトに必要な予算などの調査を行っていた。
 「ブラジルは政治が悪いのは明らか。道一つとっても、各所に亀裂が入っていたり穴があいていたりするのは、予算を全て使わず、誰かのポケットに流れているという現れ」と、公的資金投入のプロとしてブラジル政府への評価は厳しい。
 ブラジルに来て最初はサンパウロ市アクリマソン地区に家を購入し、穏やかな生活を送っていた。しかし、数年後に妻が知人の保証人になり、借金のかたとして3軒あった家の2軒を売りに出すことになってしまった。
 最終的には3軒目の家も売りに出し、3年前からボン・レチーロ地区に引っ越し、妻と次男家族、三男と一緒に生活している。
 「三男だけが結婚していないのが心配で」と、国が変わっても子を想う親心は変わらない。
 「ブラジルの好きなところは人々の国民性。強盗や怠け者も目立ち、私も携帯電話やパスポートを盗まれたことがあります。ですが世界から観光客が来るのは、やはりおおらかな人々を求めて来るのだと思います」と、ブラジルの人々への眼差しは温かい。
 「家では韓国料理を食べますが、昼食を食べたらすぐにお腹が減ります。それに比べて腹もちの良いフェイジョアーダもすっかり好物になりましたよ」(つづく)