日系ジャーナリストの先駆者の一人、宮城タカオさんが3月25日午後に亡くなった。行年81歳。3月31日午後3時に初七日ミサが、サンパウロ市のサンジューダス・タデウ教会のユーチューブチャンネルで行われた。
タカオさんはサンパウロ市出身の二世。父・宮城松成(しょうせい)氏は1937年に移住し、母県の沖縄タイムス紙の海外通信員を長年していた。兄弟のパウロさんはラジオTV日系の社長。家族でジャーナリズム界に貢献していた。
タカオさん本人はエスタード・デ・サンパウロ紙、フォーリャ・デ・サンパウロ紙、ジョルナル・ダ・タルデ紙を皮切りに、サンパウロ州政府広報官を長年勤めた。
家族によると昨年からのパンデミック期間中、ベランダで育てている植物の世話やハンモックで日光浴をし、夕方の空を撮影するなど穏やかに過ごしていた。外出できない分、フェイスブックで友人や家族とつながり、ブラジルや世界の主なニュースをリアルタイムで共有することも好きだったという。
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