那覇港では、家族、親戚、友人達がそれぞれ別れのテープをしっかり握っていました。汽笛が鳴った。もはや別れは避けられないでしょう。大規模な「鎌倉丸」がゆっくりと水面を滑り出し、段々と遠ざかっていくと同時にテープが一本ずつ切れていきました。別れに胸が引き裂かれるように、次々と脳裏をよぎる悲しみのほんの一部や込み上げる恋しさ。桟橋に残った人々は、永遠の時間の一瞬に湧き上がってくる思いをテープに凝縮しているかのように、それをしっかりと握っていました。大事な宝石のように千切れたテープの小さな紙きれを胸に押し付けていたのは、誰にも奪われることがない貴重な宝物が秘められていたからなのです。「再会への希望」という宝物が。
ブラジルまでの旅は長く、その日から 58 日、ほぼ2か月間にわたり巨大な船の中が父の世界と化したのです。