耕地では、その地方で最も盛んなバナナと米が栽培されていました。父は早起きでいつも一番先に起床していました。雇用主が毎朝、そこで暮らし、そこで働いている方々全員に朝食の準備をしていたので、父は毎朝まだ暗いうちから薪の調達に取り掛かったのでした。
明け方の澄んだ空気に漂う薪の煙に入り混じった調理の香りがどれほど素晴らしかったことか。新たにスタートする一日を迎える最高の儀式のようでした。
雇用主は、父の献身的な姿勢を認め給料を他のコローノの人々よりも少し多めに支払うことにしました。もちろん、誰にも知られないのが必須条件でした。
父は、毎月沖縄に残した妻子の面倒を見てくれていた自分の父親に給料のほぼ全額を送金していました。家族と離れ離れの生活は苦しく、恋しさが募るばかりでした。
第3章 暴風
ある朝、奇妙なことが起こりました。
父はいつものように朝早く起床し、ふと従兄の家のほうに目を向けた。が、何も見えなかった。何もない。不可思議な現象に驚き、わが目を疑い反射的に「霧かな?」と思い、直ぐさま従兄の家に向かいました。だが、やはりそこにあるはずの家が消えていた。一瞬のショック状態から逃れると走り出し、まだ眠っている同僚に助けを求めました。
「信じられない」、そんな気持ちと深い悲しみが耕地全体に広がった。前夜の強い雨と暴風により丘上の岩が崩落して、政孝さんの奥さんと6か月になったばかりの小さな赤ちゃんが寝ていた家を大きな土石流が襲い、そっくり流してしまっていたのです。
崩落の大きな音がしていたはずだろうが、雨と風の強音に加え、毎日の重労働に疲れ切っていた父はぐっすりと眠っていて、何も聞こえませんでした。政孝さんといえば、運命が災害を逃れるようにと仕向けていたのだろうか。ちょうどその前日に6歳になる長男を連れて隣の町へ用事で出かけていました。日が暮れると雨が強くなり、知人のところで一泊することになったのです。
翌朝戻ると、すぐさまショック状態に陥った。家が消え去り、奥さんも小さな子供もいなくなっていた。同僚の不幸に直面した者は皆完全に無力状態のままでした。その苦痛を和らげることは不可能だったのです。父は、一言も発することができず、ただ皆と同じように無力のまま呆然と立ち尽くし従兄に慰めの言葉一つ発することも、何をすることもできませんでした。
悲痛を極めた絶望の泣き声が耕地全体にひろがりました。親と一緒に戻ってきた小さな子供は凍りついたように馬に乗ったままだった。その子もショック状態だった。
父は無言でその子を抱き下ろしました。だが前進せねばならなかった。
異国で生活を共にする同郷出身者同士の間に自然に育まれる団結心と日本人特有の決断力がすぐに湧き起り、絶望のどん底から勇気を振り絞り立ち上がり始めたのでした。