ホーム | コラム | 特別寄稿 | 特別寄稿=幸運と努力、移民魂と根性の人=篤志家・堀井文夫氏への追悼の辞=サンパウロ日伯援護協会評議員会長 菊地義治

特別寄稿=幸運と努力、移民魂と根性の人=篤志家・堀井文夫氏への追悼の辞=サンパウロ日伯援護協会評議員会長 菊地義治

 堀井氏逝去の知らせを聞き、日系社会の重鎮であり、事業家の大切な人が亡くなり愕然としました。コロナ禍中で病気に打ち勝って、元の元気で温厚で柔和な姿で退院も間近と待ちわびておりました。
 人生は無情と言われておりますが、87歳という年齢には不足は無いと思いますが、まだまだ壮健であり、やり残された事業もあり、パラダイス・クラブの建設地分譲地の造成拡張もあったものと思います。
 私(わたくし)は、岩手県人会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会と日系社会の団体活動に参加して参りましたが、堀井氏の様な勤勉で正直で努力家、かつ頼まれた事は必ず実行する人は他に見たことありません。
 堀井氏の八十路の記念史の中で書かれておりますが、3歳で家族で移民され、幾多の困難を経験された人であり、その人格形成は家族に恵まれたものと、どんなに苦労しても自助努力の精神を養われた堀井家の家族、母の愛情の賜物と思われます。
 移住者の常として子供移民は家族の犠牲になり、親を恨む考えが芽生えるものですが、母親の教育が良く、この様な人格形成が行われたと思います。
 母が50代で早死したこともあり、彼女が話していた丘の上の見晴らしの良い所に家を築く事を夢みたその言葉を実行されました。その家の井戸を掘り、カオリン鉱を見つけたということです。人間の生涯の中でいつ運がさずかるものかわかりません。
 もちろん、並の人ではなく家族の事や親を思う心がけが人情家堀井氏を育てていったものと思います。カオリン鉱が見つかっても大変な仕事であり、発掘そして商品化するまでは、幾多の困難を乗り越えなければなりません。事業が軌道に乗るまでは、計り知れない苦労と失敗を繰り返し、企業家への苦しい道のりを歩まれたことと思います。
 そこには、苦労を重ねた親ゆずりの移民魂があり、家族に見守られながら育成された根性があったから成功したと思わずにはいられません。
 堀井氏は、思慮深く人の話をよく聞く人でありましたが、それはかえって彼の人格形成に大きな影響を与えるものと思います。話すことよりも聞くことは忍耐が必要であり、判断能力が重要です。仲間や自分自身に常に厳しくなくてはなりません。
 仕事に対する情熱や実行力がなければ、何事にも打ち勝つ事は出来ません。堀井氏はどんな仕事に対しても最後まで辛抱強く成功に導いて行く努力をおしまない人であり、物事がうまくいくように綿密な計算を自分でされていました。
 人には親切に、多くの社会の人々のために自身の体験を活かして、常に皆と共に汗を流し、事業を進められたようです。
 その中で社会貢献と喜びを分かち合いながら決して威張らず、奢らず、多くの人達との調和と協力がされたのです。長年の謙虚さがあったと思われます。

稀に見る日系社会支援の歴史

 私は援協に入り、堀井氏を知ることになりますが、移民80周年記念事業の日伯友好病院建設委員会の財務委員として、率先して一個人でありながら南米銀行やコチア産業組合と同じぐらいの大金を寄付され、援協の基盤強化に努められました。援協役員としては、第一常任理事を務められ、日伯友好病院建設後は運営審議会委員でもありました。
 私が援協に入った頃には雲の上の人であり、今日の日伯友好病院の繁栄も堀井氏の息のかかった病院建設という基礎があったからと思います。常に先見の明を持って堀井氏はカオリン鉱山会社を起こし、その後に事業拡張と発展をしながらパラダイスゴルフ場やホリイビル建設、ホテル事業への参画、新鉱脈の開発と分譲住宅の建設など目を見張る勢力で発展しております。
 しかしこれらも人々の暮らしと生活に密着した事業計画の方針で、堀井氏が望んだ多くの人達が住みやすい世の中を見すえた大きな夢の実現であったと思います。
 そんな多忙な中でも日本からの芸能人、コロニア芸能祭への協力寄付、カラオケ大会、紅白歌合戦、慈善ゴルフ大会、モジ秋祭りなどと頼まれれば嫌と言わず皆さんの喜ぶ顔に協力をおしまない人でした。
 地域社会においてもモジ・ダス・クルーゼス文協の体育館建設を整地作業から完成まで共に自分から率先して汗を流されました。また、障害者学校の建設、環境保護支援、特に日系社会ブラジル社会に必要な仏教寺院モジ西本願寺の建立をしました。人々の平安を祈り、地域社会の平和と安住の地への贈り物として、未来永劫に光り輝く聖地となることでしょう。

 堀井氏の人柄による企業利益の社会還元は、ブラジルへの恩返しであると思います。
 2018年7月、眞子内親王をお迎えしたブラジル日本移民110周年記念式典委員会にも多額の寄付と、たくさんの協力券を購入頂き、日本祭りへの協賛など、20万人の歓迎祝賀を無事成功に導いたのも、堀井氏をはじめ日系社会の協力のおかげと感謝申し上げます。
 つねづね、人様の幸せを願われた方であり、多くの人々に功徳と陰徳を積み重ねられた人ゆえに、モジ本願寺にて清水円了住職による壮厳な葬儀、家族、信徒、参列者の盛大なお見送り、沿道はパラダイス・ホテル・グループ側からも従業員の見送りも並び、心あたたまる素晴らしい光景でありました。
 最後に生前のご厚情と遺徳に深心なる敬意とご冥福をお祈り申し上げます。私も、堀井氏の人徳を偲び少しでも真似られるよう精進、努力してまいりたく思います。
        合掌