ホーム | コラム | 樹海 | 《記者コラム》ボルソナロの軍への復讐

《記者コラム》ボルソナロの軍への復讐

大統領支持者の集会に参加して演台に立ち問題化したパズエロ氏(Fernando Frazao)

 3日にリオで、エドアルド・パズエロ陸軍中将(前保健大臣)がボルソナロ大統領の支持者の集会で壇上に上がって挨拶したことが、「軍人はいかなる政治活動にも関与してはならない」という軍規律への違反にあたるのではと軍部で審議され、最終的に無罪放免になった件に関し、各界から「危険な兆候だ」と警鐘を鳴らす声が相次いでいる。
 通常であれば「30日の禁固」「責任をとって退役させて予備役にする」、軽くても「訓戒」などの処置が予想されていたにも関わらず、パウロ・セルジオ陸軍総司令官はあえて「お咎めナシ」を選択した。
 これに対し、「軍がボルソナロに屈服した」として、大統領が軍の武力を背景に好き勝手なことをする強権主義、独裁主義の道に入るのではと危険視する識者、政治家、メディアが相次いで声明を出している。
 6月2日朝、CBNラジオでジャーナリストのベルナルド・メロ・フランコは、「パズエロが議員調査委員会で大統領に罪をかぶせるような発言をせず、肝心ところはウソを突き通したことに、ボルソナロは自分に対する強い忠誠心を感じ、新しい役職を与えるという報奨を与えた。自分への忠誠を示した者を守る態度を示すことで、軍の規律をねじ曲げることを容認しろというメッセージを軍部に発信していた」と分析した。
 加えて、「ボルソナロ政権になってから6千人の軍人が連邦政府の官僚として採用された」との事実を上げ、軍が大統領に弱みを握られていると分析した。通常は、軍事政権時代以上に、閣僚における軍人比率の高さが問題にされることが多いが、実はそれに隠れて官僚機構に大量の軍人を送り込んでいた訳だ。
 このコメントが意味しているところは、軍人の給与は比較的安く抑えられており、それが官僚に採用されることで高給がもらえるようになることを意味する。この6千人は当然、軍上部のクラスが多く、彼らがボルソナロに頭が上がらない状況があるとフランコは説明した訳だ。
 さらに「だいたい医者でもないパズエロを保健大臣にする大統領の指名を、軍が受け入れた時点ですでに主導権を失っていた」と見ている。
 軍給与は長年、インフレ以下でしか調整されておらず、大将クラスでも2万レアル台と言われ、4万レアル台を得ている司法高級官僚などに比べると公務員間の給与格差、待遇のゆがみがあった。軍政時代のトラウマが残っているため、軍に積極的に関与しようとする政治家は今までおらず、給与調整も積極的に行われてこなかった。
 その不満に目をつけた元軍人のボルソナロが、積極的に軍人を役員に登用し、いつの間にかボルソナロに背けない状態に落とし込められていた。端的に言えば、金の力で軍の規律がねじ曲げられる土台が整えられていた。

サントスクルス大将「悪い根は絶つべき」

アンタゴニスタ・サイト4日付け記事。ボルソナロに苦言を呈すカルロス・アルベルト・ドス・サントスクルス陸軍予備役大将

 アンタゴニスタ・サイト4日付け記事よれば、ボルソナロ政権で一時期は大統領府秘書室長官までやって、後に辞任したことで知られるカルロス・アルベルト・ドス・サントスクルス陸軍予備役大将も、「パズエロ前保健相の件は、軍規律への正面衝突を起こし、ボルソナロは軍組織への浸食をさらに一歩進めた」と批判した。
 「彼は毎日のように、組織浸食への歩みを少しずつ進めている。これはブラジル国民や軍に対する不敬にあたる。大統領は軍の最高司令官であるという規定は確かにあるが、だからといって軍が長い時間かけて築いてきた歴史、伝統、献身、規律をなし崩しにすることは受け入れられるものではない。みんなにとって、ブラジルにとって悪い見本になる。『私の陸軍』などと言うことは、無責任なデマゴーグ(社会経済的に低い階層の民衆の感情を刺激し、恐怖、偏見、無知につけ込むことにより権力を強めて政治的目的を達成しようとする政治家)だ。〝あなたの陸軍〟はブラジル国民のものではない。陸軍は全国民のためのものでなければならない。個人的な利益のための軍を分断するグループを打ち負かさなければならない。悪いものは根から絶たないといけない」と厳しく断罪している。
 サントスクルス予備役大将しかり、アミルトン・モウロン副大統領しかり、軍の重鎮の正論ともいえる意見を押しのけて、大統領は軍の分断化を進めている。
 分断化させるための〝武器〟が政治家権限によって役職を与えることだ。役職を得れば、所得が一気に上がり、生活が向上する。軍人の給与体系を冷遇してきたしっぺ返しが、このような形で現れてきている。

マイア「ブラジルがベネズエラ化している」

カルタ・カピタル誌サイト8日付にも掲載されたマイア前下院議長の「ブラジルがベネズエラ化している」発言

 エスタード紙4日付によればロドリゴ・マイア前下院議長は、「ウゴ・チャベス時代のベネズエラのように、ブラジルは強権主義国家に陥る危機にさらされている。パズエロ中将に関するエピソードは、軍が大統領に屈服したことを意味しており、ブラジルの民主主義を脆弱化させている。英国は第2次世界大戦中、体制がナチズム化する脅威にさらされていたが、ウィンストン・チャーチル首相はそれを民主主義に押しとどめて跳ね返した。ブラジルにも現代のチャーチルが必要だ」と警告するコメントを発している。
 ボルソナロ大統領支持者らは軍クーデターを支持する表明をしており、それが実行されればブラジルは再び民主主義国家、法治国家ではなくなる。軍がボルソナロに屈服して言うなりにクーデターを起こせば、メディアは自由を失って言論の自由は弾圧され、憲法は停止、連邦議会も閉鎖され、政府を批判する者は国家治安維持法の下に逮捕されることになり、軍が支持する限り現体制がいつまで続くようになる。
 事実、ベネスエラでも軍人ウゴ・チャベスは元々選挙で選ばれ、2002年のクーデターを経て、石油利権を握った。軍部が経済の基幹組織にどんどん軍人を送り込んで掌握するようなり、批判する勢力を政治犯として逮捕し、メディアを閉鎖してきた。
 つまり軍部の支持を背景に徐々に強権主義化して独裁国家、形だけの選挙しか行わない状態にしていき、最終的に独裁者の立場を今のマドゥーロに譲った。どれだけ国民が民主的に抗議行動をしても、軍の支持がある限り独裁体制は生きながらえる。
 ブラジルでも今年、ペトロブラス総裁が大統領によって指名され、石油利権を軍人が握る状態になりつつある。大統領は常に主要メディアを攻撃してきた。
 それに対し、コロナ禍議会調査委員会の発足やルーラ元大統領の選挙出馬可能化を契機に、民主主義的にボルソナロを批判する勢力が左派を軸にしてどんどん強まり、大統領の一般からの支持率が下がっている。
 それに対抗するように、大統領は二輪デモを繰り広げて熱狂的な一部支持層を固め、軍部を背景にした体制を作ることを目指しているかのように見える。軍部が背景にあれば、どんなに支持率が下がっても関係ない。強権主義国家になれば、選挙は形式化して民意を表す手段ではなくなるからだ。
 軍政時代に作られた国家治安維持法を骨抜きにする改正案は、下院では承認され、上院に回されたが不気味なことにそこで止まっている。

政治家としての原点は「軍への復讐」?

1986年8月、第8パラシュート部隊に所属していた頃の若きボルソナロ大尉(Luiz Pinto / Agência O Globo, Public domain, via Wikimedia Commons)

 思えば、ボルソナロは民政移管直後の1986年、軍規律に違反して低賃金批判の意見をヴェージャ誌に掲載して、懲罰を受けた過去がある。その後、逮捕されて15日間拘留という厳しい罰を受けた。その1年後、ヴェージャ誌はボルソナロが軍の部隊に爆弾を仕掛けようとしているとスクープ記事を出した。
 当然、本人は容疑を否定し、88年に最高軍事裁判所は無罪判決を下したが、同時に大尉(Capitão)のまま予備役にされた。「罪は不問に付すが、オマエは軍には不向きだ」と宣言され、軍人としての道は絶たれた格好だ。
 その年に、キリスト教民主党からリオ市議会議員選挙に立候補したことで、政治家に転身した。みごと当選を果たして、90年には連邦下院議員になり、以来6回も再選を果たした。政治家としての経歴は、「オマエは軍に向いていない」とはねのけられたことから始まっている。
 ボルソナロは1977年にアグーリャス・ネグラス陸軍士官学校に入学した。当時の教官を始め、上官だった人間は、ボルソナロが大統領という軍最高司令官になった現在、すべて部下になった。ボルソナロが当選したから彼らは大臣クラスの官職を得ることができた。
 選挙では軍人を味方につけて保守派を取り込み、当選したら大将クラスの軍人を閣僚に多数重用するだけでなく、中堅クラスを官僚機構にどんどん送り込んで待遇改善を図り、十分にうまい汁を吸わせた後、今年3月から「そろそろ自分の配下に入れ」と命令を下し始めているように見える。
 その最初の兆候は、大統領が3月末、国防大臣に軍の政権支持表明をSNSで出すように頼んで断られ、その大臣をクビにしたことだ。大統領の持つ強大な権限を使って、かつて自分に懲罰を与えた軍に仕返しをし、意のままに操ろうとしているのかもしれない。
 彼の政治家としての原点が「軍への仕返し」だった。とすれば、大統領はパズエロに軍規律を無視させることで軍を自分に屈服させて、世間から批判の的にすることで、あのときの復讐の味を存分にかみしめているのかもしれない。
 であれば、今の大統領の目標は「独裁政権樹立」などという大それたものではなく、軍への復讐というもっと単純な動機かも。(敬称略、深)