何んとなく、本紙の今月1日付け読者の寄稿欄を見たら、表記の題名の村崎道徳氏の記事が眼に留まった。
さては、パラグァイ駐在の大使でも場合によっては、近い別任務地のブラジルの慰霊祭には出掛ける事も有るのかな? と先ず思ったりした。
慰霊碑参拝そのものに屁理屈を述べて居るのではなく、要は端的に云って公式な大使の参拝だったのか、単なる遊覧の為だったのかドウかは知らぬが、式典の執り行いが全くフザケタもので、昔の古い移住者の村崎氏は先人の霊に失礼ではないかと、不平タラタラなのである。
かく言う私も、昔小さい頃に父母に連れられて、サンパウロ州のモジアナ線のあるカフェー耕地に入植し、そこで早々と病名も不明な〝熱病 〟で未だ乳飲み子の妹と、次いで父親も亡くした。その霊も未だロクに成仏していないのでは無いかと想ったりもする、元ブラジル移民の一人なので、どなたであろうと慰霊碑参りをして頂くのは有難い。
かつて村崎氏は、サンパウロ市イビラプエラ公園内の日本移民先没者慰霊碑の清掃・管理をしていた方で、たまたまパラグァイから同慰霊碑参拝に来訪した、駐パラグァイ日本国大使の思い出を述べ、花輪の献花式も無く、恒例の記帳式もはなはだ粗末に終った経緯に触れているのだ。
時の大使は誰だったかも判らず、随行の二世の現地採用の館員だと思われる者達が高い声で愉快に話し合っているのが、慰霊碑参りに相応しくなかったと云うのだ。
村崎氏の申したかったのは、昔の日本の良さを大切にする気持ちを後世の者達に遺したいと、昭和生まれの叫びを告げているのである。
皆で国歌を斉唱することの大事さ
私も昭和一桁生まれの〝昭和っ子〟で、村崎氏の言い分が解かり、パラグァイ育ちの旧ブラジル移民の身として、私なりに昔述べた苦言がある。
それは敢えて言うなれば、2010年6月に当地新聞社の日系ジャナールより発刊した私の〝自叙少伝〟なる(移民エッセー集)『パラグァイに根差して七十五年』の回想文の中から拾い出したものである。
その一つは、1972年4月にかつてのストロエスネル大統領が、多くの随行員を従えて、日本を公式訪問した時の事だ。
私もその一員に加わったが、公式訪問の最後の行事で、帝国ホテルに於いて、大統領主催の答礼サヨナラ・パーティーが催され、当時は未だ大変お元気だった昭和天皇・皇后両陛下を初め、皇族の方々、佐藤総理の他に政府官憲要人や日本駐在外国外交官等が大勢出席した。
先ず礼式のお決まりとして、日パ両国歌の斉唱があったが、日本側は「君が代」を余り歌う者がなく、その反面パラグァイ側は全員が国歌を斉唱した。
そのため、後で側に居られた故千葉三郎自民党代議士(東京農大の学長としても有名だった)が近寄られて、「パラグァイは偉いね。この様に大統領以下皆が自国の国歌を堂々と斉唱した姿には感じ入った。戦後の日本ではどこも『君が代』や『日の丸』を余り尊重しない風潮だが、日本は大いにパラグァイに見習わなくてはいけないね!」と感想を私に洩らされた事である。
序に云って置けば、『君が代』は、明治36年(1903)にドイツで行われた国際コンクールで、世界の国歌中で一等に入賞した、簡潔で且つ荘厳な名国歌として有名な事を知る人は案外少ない。
なお、申せば色々と異論はあったが、ツイ最近(1990年代)になって、ようやく国会で『日の丸』を国旗に、及び『君が代』を国歌として正式に夫々制定する事が決議された。
色落ちした『日の丸』や煤けた『菊の御紋章』は日本人として不快
この次の大きな課題は、戦後進駐軍の許で発布された、現行の所謂“平和憲法 ”の改正問題である。前安倍晋三総理が自分の宿願として取組んでいたが、未だいつになったら実現するのかも判らない。
私が一度ワイフと共に日本へ行った時(1984年秋)に、古くは自分の親類(従兄)が日露戦争の戦艦初瀬で、及び太平洋戦争ではミッドウェーの海戦で、もう一人の従兄が空母蒼龍で夫々戦死しているので、九段坂の靖国神社を参拝した事が有る。
その時、丁度一群の若い憲法改正運動員にサインを求められたので、『私は南米のパラグァイから参りました者です』と、喜んで応じた。
相手の青年は「パラグァイ?」と聞いて、ウルグアイの事ではないかと不審に思ったらしく妙な顔をした。
海外に住むと、『日の丸』を見たり『君が代』を聞くと、古い者は文句なしに感動を新たにするものだ。
なお、思うのは在外公館で『日の丸』や『菊の御紋章』が、公害で煤けたり、汚れたりしては居ないかと言う事である。
矢張り、年寄りの愚痴かもしれないが、古くなって色落ちした『日の丸』や煤けた『菊の御紋章』を見ると、日本人として不快である。
確か、日本の軍艦は軽巡以上の艦は皆舳先に『菊の御紋章』が付いていた。潮の波風で汚れるそれを、舳先にぶら下がって磨くのは当番水平さんの日課だったと云う話を昔聞いた。
慰霊碑であれ、『日の丸』であれ、世の中には時として襟を正して臨むべき時があるものだ。