60代以上はワクチン接種を終え、これまで頑なに家族から対面で会うことを止められてきた人々も、各自の判断で旧交を温める動きが出始めている。そんな14日、1963年に初航海した移民船「さくら丸」の同船者らが互いに呼びかけ、猫塚司さん(78、岩手県出身)、中沢宏一さん(78、宮城県出身)、伊藤幸吉さん(76、大分県出身)、笠間照博さん(76、長崎県出身)ほか、同船者以外の旧知の仲間4人が聖州アチバイア市の中沢宏一さん宅に集まった。
昨年3月に外出自粛令が出されるまで、さくら丸の同船者は年に2、3回は集まって近況を報告し合っていた。今回は、パンデミックになって初の本格的な集まり。
中沢さんは「過去を振り返らず、これからしたい事、しようとしている事を語り合い、未来志向なひと時を過ごすのが目的です」と語る。
中沢さんは、外出自粛令が出される直前、3年前からブラジルのミナス・ジェライス州で長年食されてきたオラ・プロ・ノビスの栽培を開始し、今後の健康食として本格的に販売する準備を整えていた。コロナ禍によってその計画は滞ったが、自分自身が実験台となり、外出自粛中もオラ・プロ・ノビスを食べ続け、重労働な庭仕事に精を出し、その健康効果を実証して来た。
「エンシャーダを手に毎日肉体作業を行っていますが、オラ・プロ・ノビス効果で疲労感も残らず、生活習慣病とも無縁、以前より髪の毛も黒くなってスリムになりました」と笑顔をのぞかせる。
また、現在は地元のアチバイアFCに中沢教育スポーツセンターの施設を提供して、同FCがサンパウロの一部リーグに昇格することをバックアップしている。
参加者の一人、蛸井(たこい)喜作さん(84、山形県出身)は、コロナ禍になってからマラニョン州都サンルイスから250キロの奥地に拠点を置き、地域振興に情熱をかけている。同州はブラジルでも最も発展の遅れた地域で、産業も乏しく、地元の人々は政府の援助金で生活するのが当たり前の状態となっている。そこで、蛸井さんは地元の特産品を生み出す事を目指している。
「マラニョンの奥地で手に入る農産物は、安くて悪いか、少しは良くてもサンパウロなどから空輸で届くようなとても高い商品がほとんど。しかし、開拓すれば、キャベツやコウベなどの葉野菜は難しいが、ほとんどの野菜類は栽培できる。地元には農大もあり、その学生たちと今後の町おこしについて一緒に考えています」と地元に貢献しつつ新たな夢と活路を見出している。
2023年には「さくら丸」の同船者は60周年を迎える。2年後の6月中頃には、同船者やコチア青年という枠を超えて、「開拓の戦友」としてともにブラジルで生き抜いてきた仲間で、またアチバイアで集まろうと誓いあった。
昼食後、参加者は中沢さん宅に植えられた木々やカンヒザクラ(寒緋桜)、オラ・プロ・ノビスなどを鑑賞しながら散策し、穏やかなひと時を過ごした。