【既報関連】6月18日付け移民の日特集号掲載「東京五輪予選=与那嶺ニコリ選手惜しくも代表落選=剛柔流・与那嶺育孝範士の孫」で取材した「沖縄空手道剛柔流武術協会琉武会総本部」10段範士の与那嶺育孝会長(やすのり・沖縄県)は、80歳になる今も衰えを知らず、連日道場で稽古に励む。最近の心境や珍しい「巻藁稽古」について取材した。
与那嶺さんは1941年、沖縄県中頭郡西原町生まれ。13歳から空手を始め、61年、20歳で家族と共に農業移民として渡伯。「ブラジルで空手の指導者になる」という夢を掲げ、家業の傍ら稽古を行った。67年に妻エレーナさんと結婚、沖縄県人会ビラカロン支部の柔道場で教え始めた後、現在の道場「琉武会総本部」を建てた。現在も同道場での指導や稽古に励む。
与那嶺さんは、サンパウロ市ビラカロン区に本部を置く「沖縄空手道剛柔流武術協会琉武会総本部」会長で範士十段。範士は武道における最高位の称号で、同氏は日本国外在住者で初めてそれを取得した功労者。
「空手が本当に好きでね、指導や試合の為に今まで沖縄に30回以上足を運んだ。沖縄にいくたびに向こうの空手道場で寝泊まりしたよ」と柔らかい口調で空手への愛を語る。
世界空手道連盟(WKA)から認定された一級審判員についても「審判員としても世界中回った。『日本、沖縄の空手が世界各国でどのように伝えられ行われているか』それを自分の目で見たくて審判員を引き受けたんだ」
稽古指導を今も行う理由について「何よりも口先だけの指導はしたくない。稽古をやって見せて生徒に教える。口先だけで指導する人は世の中に沢山いるが、正しい指導をする為には自分が苦労しなければだめ」と真っ直ぐに見つめる。
与那嶺範士の空手歴は67年程。その長年の経験から他流派の空手でもその人の動きを見れば悪い所がわかるという。「空手を長年してきたから、その人の体・手・足の動きをみればどこが悪いかわかる。流派関係無く直すことができる。そうやって糸東流を習う孫ニコリに指導したんだ」と笑顔を浮かべる。
同氏は空手を始めた当初から毎日「巻藁稽古」を行う。これは拳を鍛える稽古方法。藁を巻きつけた硬い木の板に、拳や手足を打ち付けて鍛える。形や寸止め全盛の現在、実際に殴るという実戦的稽古は珍しい。特に拳には関節があるので鍛えても強度には限界があり、骨折しやすい。それを補うのが鍛錬の積み重ねだ。
昨今では失われつつあるこの稽古だが、この練習を続けると人差し指と中指の拳頭に「拳ダコ」ができる。拳を守ると同時に、相手を突く時に大きなダメージを与える。
「巻藁は毎日欠かさずしている。75歳までは1カ月1万回以上、今は少し減らしたけど月に6千回以上叩いている」と話す。「たまに拳ダコがあるのを忘れて目の痒みを手の甲でこすってしまう時がある。あれは目の皮を痛めるから本当に注意しないとね」と優しい笑顔で笑いを誘った。
その他、世界空手道連盟(WKA)が認定した唯一の沖縄出身一級審判員で、南米や北米、ヨーロッパなどでも指導し、世界大会に出場する選手を多数育て空手普及に貢献した功績を持つ。2012年にはサンパウロ名誉市民章も授与した。与那嶺さんの長女シモーネ・ハツミさんの娘三女ニコリさんは6月11日にパリで行われた東京五輪空手部門選手選考大会に出場した。(淀貴彦記者)