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安慶名栄子著『篤成』(33)

 すると、誰かから、「じゃあ、手分けして、交代でその日のおかずを持ってくるようにしたら」という案が出されました。
 「僕は卵を持ってくる!」と、即座に運転手の方が言いました。「私は野菜を!」とか、「私はソーセージを!」と、あちこちで意見が飛び交い皆大賑わいになってしまいました。
 和気あいあいの雰囲気で、常に「品質、時間厳守、誠実」をモットーとした私たちの会社にはすでに21人の従業員がいました。お客様を第一に、尊敬心を忘れずに仕事を進めたので、会社の収益も最大限に達していました。
 毎日毎日神様に感謝し、その日の始まりと終わりには必ず「ありがとうございます」、「おまもりください」、と祈るのでした。
 チリから遥々いらしたあの経営者が教えて下さった加工法のおかげで生産量が増え、更に藤本工機の機械を購入し、品質が上がったうえ洗浄加工過程の材料の節約にも大きく影響し、おかげで生産量が3倍にも上がったのです。
 あっという間に時が過ぎ、工業用クリーニングを始めて3年目になった時、ようやく父が調達して下さった頭金を返す事が出来ました。マリオは利子もつけなくてはと言いましたが、父は断じてもらいませんでした。マリオはその感謝の気持ちを表し、テレビ一台と沖縄までの往復チケットを父と兄にプレゼントしました。兄にとっては初めての日本行きの旅行でした。

第20章  夢

 篤成が最初に沖縄へ再渡航したのは1964年、祖母、安村マツの米寿祝の時でした。兄恒成の末っ子が誕生した年だったのでみんなよく覚えています。当時はまだ船旅で、片道45日間の長旅でした。
 ブラジルに移民した時から父は、生活費を差し引いた後のお金はすべて沖縄の私の祖父のところへ送ったのです。
 祖父は、戦争の時期には銀行にお金を預けては危ないからと、父が送金した分を、兄たちの遺族年金も含めて全て土地に変えて置きました。
 今回の日本への旅は、大きな夢がかなっていたのです。私は嬉しさのあまり、ますます仕事に没頭してしまいました。
 そんな状態を見たマリオは、「いい加減にしろ。少しは休むようにしなさい。日本はすぐそこにあるんじゃない。あそこまでの旅は30時間もかかるのに、何も感じないのか」と。
 私は何も考えたくなかった。長時間の旅だとわかっていても、心配したってなにも変わるわけではないと考えていました。神様に任せる。そう決心していました。
 そして、旅行が好きだったら、父がそれで幸せを感じるのだったら、いっぱい、色んなところへ旅をさせよう。
 そう思うようになりました。

第21章  従業員への感謝

 深夜23時過ぎの事でした。仕事が終わって家に帰る途中、警察の車が私たちの車の後からついてきました。パルケ・ノ―ヴォ・ムンドから出て、チエテ通りを経てタツアッペーの橋を渡り、サリン・ファラ・マルフィにたどり着いたときにその警察の車が私たちの車の横に並び、「ジャポネイス、どうだ、大丈夫か?」と聞きました。