「ひばりプロダクション」(加藤和也代表)からの申し出を受け、ブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)は17日15時、オンライン「美空ひばり33回忌法要お墓参りと記念フィルムコンサート」を申込者限定で開催した。中南米在住者向けに特別に無料配信され、中平マリコさんが文協との仲介をしてポルトガル語字幕(鈴木ジョルジさん翻訳)も付けた。事前申し込みには1171人が殺到。大半がブラジル在住者だが、ペルーも97人、パラグアイ8人、ドミニカ3人など中南米からも申し込みがあった。
動画では、ひばりが眠る横浜市の墓地で傘を持って挨拶する加藤代表の言葉から始まり、32年前を振り返り、墓前に焼香した。供養を担当した僧侶は法話で「あの時の葬儀では、沿道でたくさんのファン方が次から次へと『ありがとう!』と言われていた。いまだかつてあれだけ感謝をされる方の葬儀を他に知りません」と真摯に語った。
フィルムコンサートの冒頭では、本人の声で少女時代のバス転落事故の経験が語られた。敗戦直後9歳でデビューし、1957年に地方巡業している途中、高知県大豊町でバス転落事故に遭遇し九死に一生を得た。療養後、町内にある特別天然記念物「日本一の一本杉」に「あなたに負けない日本一の歌手になる」と願ったエピソードが語られた。
1949年の白黒映像「カッパ・ブギウギ」から始まり、「リンゴ追分」「ひばりの佐渡情話」などが映画の場面やライブ映像と共に流れ、少女時代から1970年のブラジル公演の映像も含めて、晩年までの音楽が一時間ほどで一気に流された。
その後、東京目黒の自宅に開館したばかりの「美空ひばり記念館」(https://www.misorahibari.jp/)が紹介され、生前にひばりさんと親交が深かった著名人3人(石井ふく子、岸本加世子、中村メイコ3氏)がゲスト出演して、思い出話に花を咲かせた。
ひばりの息子、加藤代表も「母は笑い上戸、泣き上戸で、周りの人はびっくりすることが多かった。家族中でも同じで、嬉しい時も、怒る時もいつも真剣でした」と家族ならではのエピソードを語っていた。
動画配信の最中、ユーチューブのチャット欄には多くの感想が書きこまれた。その一つ、文協文化担当理事の奥原常嗣さんは「91歳の母がとても感激している。だって私の父奥原康永は、美空ひばりブラジル公演の責任者で、その直後に亡くなったから」(ポ語)とさりげなくひと言だけ書きこんだ。
1970年8月のひばりブラジル公演は、日系社会最盛期の日本芸能人招聘事業の集大成といえるもの。奥原康栄(兄)・マリオ(弟)兄弟が経営するラジオ・サンタマーロ社が主催し、イビラプエラ体育館で3日間にわたって行い4万人余りの観客を集めた大イベントだった。ただし康栄社長はこの大事業の2日後、自動車事故で亡くなっていた。
また「ひばりさん!ありがとう。あなたは両親と私の世代を共に感動させ、揺り動かした。地上を走り抜けた輝く星でした」(Emi Takeno、ポ語)という書きこみも見られた。
他にも「感動を抑えることができない」「中平マリコさんのおかげでポルトガル語の字幕で見られて嬉しい。ありがとう」などたくさんのコメントが書きこまれた。
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東京目黒の自宅に開館したばかりの「美空ひばり記念館」(東京都目黒区青葉台1丁目4番12号、問い合わせ電話0570・000・868、https://www.misorahibari.jp/)には、貴重な展示品の他に、本人が使っていたキャデラックカーも展示されている。エントランスではひばりの歴史ダイジェスト映像、オリジナルグッズ、芸能生活の悩みや苦しみを癒した憩の庭、多くの著名人をもてなして語り合った和室などが見られるという。次に日本に行く際には、ぜひ立ち寄ってみては。